「諦めない」。1次リーグ初戦のナイジェリア戦で敗れようと、キャプテンは下を向かなかった。リオデジャネイロ五輪サッカー男子の日本代表主将、遠藤航選手(23)=横浜市戸塚区出身。Jリーグの育成組織に進めなかった公立の中学校時代から、日の丸を背負うまでに成長してきた努力家は巻き返しを誓う。
身体能力は明らかに上。それでも、果敢にナイジェリアの選手に体を張り続ける。その姿勢の原点は「人として成長できた」という横浜市立南戸塚中(同市戸塚区戸塚町)にある。
試合で使うピッチの半分にも満たないグラウンド。ここに立った遠藤選手は初対面でいきなり怒られた。
「あいさつはぼそぼそするな」。声の主は「休部状態」のサッカー部の立て直しを図っていた同校教諭の大野武監督(43)=現横浜市立浜中(同市磯子区杉田)=だった。
名門である横浜F・マリノスの育成組織のテストに落ち、進んだ中学校の部活動ではとにかく、あいさつや身だしなみ、整理整頓、そして基本プレーを大事にした。「勉強をやってからサッカーをやれとか。難しいことは言われていない。練習もボール回し、パスコントロールが毎日。ベースはここで磨かれた」と振り返り、恩師も「今も昔も指導方針は変わらない。素直に受け止めてくれたのが航だった」と懐かしむ。
同期のうちほぼ半数が初心者。そんなチームは、大野監督が「絶対に人をなじらない。人柄の勝利でしょう。下手な選手を試合でとにかく上手に使う」と評する遠藤選手が3年時に主将になると躍進した。