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名将のこの人と語りたい(2)
【スペシャル対談】大橋秀行氏×渡辺元智氏

スポーツ | 神奈川新聞 | 2017年6月20日(火) 15:42

チャンピオンベルトなど栄光の品々を眺める2人=大橋ボクシングジム
チャンピオンベルトなど栄光の品々を眺める2人=大橋ボクシングジム

高校2年で全国制覇し、その後世界チャンピオンとなった大橋ボクシングジム会長の大橋秀行氏(52)と、5度の甲子園優勝を誇る渡辺元智氏(72)。横浜高校の名を全国に広め、親交のある2人が高校時代の思い出や「怪物」井上尚弥のエピソード、良きライバルとの出会いなどを語り合った。

横浜高校時代



渡辺 大橋さんは、いま横浜創学館の監督をしている森田誠一と横浜高校で同級生ですよね。

大橋 はい。僕が1年生のとき、3年生に愛甲猛投手(元ロッテ)がいて夏の甲子園で優勝しました。僕は高校に入るまで野球に興味は全然なかったんです。でも高校1年のときに全国優勝したのにすごく感動して、森田は2年生で甲子園にも出場したのですごい野球が好きになりました。2年、3年のときは練習時間をずらして、県大会の応援には行っていました。今ではボクシングよりも野球が好きですね(笑)。交流も多いし。

渡辺 甲子園に行くまではボクシング、その前は陸上が強くて、活躍はかなり影響を受けました。ボクシング部は野球部の寮の上の3階で練習していました。ときどき海藤晃監督のスパルタ指導を見学しました。やはり海藤先生を超えたい、ボクシング部を超えたいという気持ちが強かった。

大橋 渡辺監督は僕にとって雲の上の存在です。ボクシング部も野球部へのライバル心がものすごかった。運動部が強かったですから。もう、いろんな競技が優勝して、校内の表彰式とかも多すぎて大変でした。

渡辺 あの頃が横浜高校のスポーツが全盛の時代だったね。素晴らしい選手がたくさん出ているんですね。その中では、野球は日本一だけど大橋さんは世界チャンピオンですから。大変なものです。

渡辺 当時、野球部も指導が厳しくてやめる子がいたが、海藤先生も厳しかったでしょう。よくやめなかったですね(笑)。

大橋 だいぶいなくなりました(笑)

渡辺 大橋さんは2年のときにインターハイで優勝して、学校でも有名だった。

2人の恩師





大橋 それから専修大へ進学して、ヨネクラジムで鍛えました。横浜高校のボクシング部もなくなってしまったし、ヨネクラジムも8月末で閉鎖するんです。とても残念です。

渡辺 海藤さんという人がいて、ヨネクラジムの米倉健司会長。そういう素晴らしい人に恵まれたのも大きかったですか?

大橋 それに尽きますね。この2人にすごい影響を受けました。2人がいなかったら私は世界チャンピオンにはなれなかったでしょう。

渡辺 大橋さんはわれわれと会うときにも全然あくがない。大橋さんのそばにいるといろんな人が集まる。やはり人柄でしょう。だから全日本の会長もやった。


大橋秀行氏
大橋秀行氏


大橋 全日本の会長には2010年4月になったのですが、直前の3月に亀田興毅選手の世界戦でトラブルが起きた。就任した直後からその対応で大変でした。昨年の3月に交代しました。

 
 

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