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【遅咲きのビッグマン】Bリーグ伊藤俊亮の挑戦〈下〉 プロ化 もっと地域にバスケを

Bリーグ | 神奈川新聞 | 2017年4月20日(木) 11:35

ファンと一緒に記念撮影をする伊藤選手(中央下)。バスケットが広がっていくには地域貢献活動が欠かせないと話す(伊藤選手提供)
ファンと一緒に記念撮影をする伊藤選手(中央下)。バスケットが広がっていくには地域貢献活動が欠かせないと話す(伊藤選手提供)

カナロコスポーツ=佐藤 将人】当時、よく聞かれた。「伊藤さんはプロなんですか?」。説明には時間がかかった。日本には実業団主体のリーグとプロリーグの二つがあって、自分は実業団の東芝に所属していて…。「明確に答えられないのが嫌になったんですよ」

 2008年、伊藤はプロチームのリンク栃木へ移籍した。「日本バスケの競技力向上と真の盛り上がりをつくるためには、リーグを統一してプロ化するしかないと思っていた。でもそれは時間がかかりそうだと。ならば、せめて個人として『プロ化』しようと」。引退後も社員として会社に残れる“保険”を捨て、退路を断った。

 当時、日本協会は国際バスケットボール連盟から「国内リーグは一つが望ましい」と統合を促されていた。だが、両者が歩み寄れなかったことから14年には国際試合への出場停止などの制裁が科され、16年に発足したのが現在のBリーグだ。

 栃木に移った伊藤は、すぐに違いを理解した。「目の前の人が自分の生活を支えてくれるという実感を肌で感じた」。ファンサービスは取り組んで当たり前。小学校に出向いたり、地域のお祭りに呼ばれたり。

 「栃木は土地柄として閉鎖的だと言われていた。どうにか変えようと試合も地域貢献も必死でやった。09年に初優勝して、ワーッと盛り上がって、チームが地域のものになっていく過程を目の当たりにできた」

 プレーヤーとしても、3年ほど遠ざかっていた日本代表に復帰した。自らの「プロ化」を成功させた。

 13年、次に選んだのは三菱電機(現名古屋)だった。「プロとしての経験を実業団に落とし込めたらと」。首脳陣からもそんな役割を期待された。そして昨年、千葉ジェッツに転じた。実業団とプロを2チームずつ渡り歩いたからこそ、分かることもある。

 「企業チームの選手も、バスケ選手であるというプロ意識は高い。Bリーグは完全プロ化し、チーム名からも企業名を外した。でもやっぱり、地元の企業や地域に支えられているチームと、企業が母体のチームとは意識の差がまだ大きい」

 現在、千葉はBリーグで観客動員数1位を誇る。その歩みは、地道で丁寧な努力そのものだ。ホームゲームに地元協賛企業の冠をつけ、地域の子どもを巻き込み、選手を地元のイベントに送り出す。「チームは地域のおみこしにならないといけない。みんなが担ぎたくなるような。そのためには自分から地域に出ていかないと」。それを実行しているチームだからこそ、居心地が良い。

 37歳。セカンドキャリアも含め、思うことがある。

 「千葉もまだまだやれることがある。試合に勝つのはもちろん、アリーナを家族が気軽に遊べるボールパークみたいな場所にしたい。日本はバスケ人口は多いのに、観戦文化が育っていない。チームをもっともっと、地域に根付かせていきたい」

 遅咲きでも花をつけられたのは、いつも誰かが支えてくれたからだった。バスケで子どもが夢を見て、地域の誰かが笑顔になって。ビッグマンの恩返しは、まだまだこれからだ。

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