アナザーヒーロー編 3/4
K100 胸を焦がす応援の記憶 神奈川フィル平尾信幸さん
高校野球 | 神奈川新聞 | 2018年6月28日(木) 02:00
真夏にセミの鳴き声を耳にすると、胸の奥に残る青春時代がふとよみがえる。神奈川フィルハーモニー管弦楽団の平尾信幸さん(58)は横浜市立南高校時代、応援部に在籍した。「勝っても、負けても感動するし、何十年たっても、当時の記憶は色あせない。50年も前の話だけど、今でも同じ事が繰り返されているのはすてきですよね」。ちょっと汗臭かった学ランの匂いもまた良き思い出だ。
入学して間もない春。廃部となっていた応援部が復活し、同級生3人で門をたたいた。地元の港南中から進学した15歳は音楽を専門的に学べる大学に進むことを視野に入れながら、「思春期という時期も重なって、ぬるいのが嫌だった」と硬派な道を歩み出した。
時は1970年代、漫画「嗚呼!! 花の応援団」が人気を博していた。
週3回、野球部やサッカー部が使用していたグラウンドの傍らで、指先をピンと伸ばして大声を張り上げていた。OBらも連日のように指導に訪れ、いつも声はガラガラだった。週1回通っていた音楽のレッスンでは「風邪をひきました」と何度となくうそをついたことも。“戦闘服”となるズボンは少しだけ太くしていた。
全国選手権神奈川大会の応援は最大の見せ場だ。3年夏の77年、母校は1回戦で劇的なサヨナラ勝利を挙げるなど、3回戦まで勝ち進んだ。
平尾さんは観客席で応援団旗を持ったり、スタンドをまとめるコールをしたり。「正直、グラウンドに背中を向けているので勝っているか、負けているか分からない。それでも、情熱を持ってプレーしている友達を応援するのが楽しかった」
応援団は校内でも異質な存在と見られていたが、「俺たちは応援団に憧れを持った最後の世代。何の生産性もなくて、いくらにもならなくて、あそこまで入り込めて応援できることはもうできない。心の中もどんどん磨かれた」。
その後、進学した東京芸大では打ち上げのたびに締めのエールを頼まれたという。応援団出身という肩書は音楽業界でも当然珍しかった。「師匠が好きでよくやらされた。ただ、3年間の応援団生活で人前に立つ快感を覚えてしまったのかもしれない。当時の写真を見ると、すごく気持ちがよさそうな顔してる」。セピア色となった高校時代の写真とは対照的に、18歳の記憶は鮮明に残っている。
現在は神奈川フィルで打楽器奏者として第一線で長らく活躍する一方、吹奏楽部やマーチングバンドの指導で全国各地を訪ね歩いている。現地での共通の話題はやっぱり高校野球だ。「『神奈川はどうですか』という話から取手二高(茨城)や常総学院(茨城)がどうとか… 甲子園という一言で分かり合える。これからも脈々と続くといいですよね」
練習拠点の「かながわアートホール」は、神奈川の高校野球の聖地・サーティーフォー保土ケ谷球場にほど近い。今年の夏もまた甲子園を目指す球児や応援する仲間が駆け付けるはずだ。
「高校野球は単なる野球じゃないんだよ。携帯電話とか、考え方とか、ベーシックな部分は変わっているけど、甲子園を目指すという形は変わらない。最後の1球、最後の打者…。あのドキドキ感には今でもうるうるしてしまうし、ぼこぼこに打たれても俺たちは頑張れとしか言えない。つくろうと思ってもつくれないシチュエーションが目の前にある。それぞれの景色、香りも違うし、いろんな思い出が沸いてくる。あのすてきな音圧、温度を多くの生徒に味わってほしい」。大先輩からの温かいエールだ。