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神奈川新聞と戦争
(151) 1942年 草履取りは「愛」である

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2020年8月16日(日) 05:00

1942年3月13日の本紙に掲載された寿屋の広告「日本一の草履取り」
1942年3月13日の本紙に掲載された寿屋の広告「日本一の草履取り」

 「立身出世なぞ、問題ぢやない」。1942年9月8日の本紙に掲載された寿屋(後のサントリー)の広告は、近代日本の原動力だった立身出世を否定した。これまでの同社の広告を振り返ると矛盾に気付く。豊臣秀吉の出世物語を題材にした同年3月13日の「日本一の草履取り」である。

 本文は次の通り。「その昔、豊太閤が、或(あ)る人の問にこたへて『自分は格別の働きをした覚えはない。(略)日本一の草履取りでありたいと心がけた。侍時代には日本一の侍たらんと励んだ。一方の旗頭となつては、日本一の旗頭たるべく努力したにすぎぬ』といつた」。これこそ模範的な立身出世ではなかったか。

 社会学者の竹内洋の論文「立身出世主義の論理と機能」(関西大「教育社会学研究」第31集、76年)に、この“矛盾”の答えがある。明治後半期から大正前半期にかけ、庶民に浸透した立身出世観を、政治学者の神島二郎の論を引きながら解き明かした一文だ。

 竹内は、草履取りから天下人に上り詰めた秀吉の出世物語を巡って、明治後期以降には「『偉大なる覇者・征服者』の側面ではなく、『社会階梯(かいてい)上昇の心構え』の側面に力点が移され」たことに着目する。

 下克上の結果よりも「地位に応じてその職務に野心を集中」した過程と精神性がより重視されたのだ。竹内によれば、この視点は明治後期の時代状況に適合した。なぜなら「体制の秩序が確立」し、その「維持の時代」になったからだ。椅子取りゲームの椅子は、もう残されていなかった。

 例えば「学校を卒業してただちに100円の俸給をうることのできる時代はもう終わった」。大卒という立身出世は、もはや秀吉のような成功を約束してくれない。こうなると、徐々に出世していくしかない。

 その思想は「日本一の草履取り」の広告文「たとへ仕事はどんなに軽く、下積みであらうとも、心から仕事を愛し、常に第一等の働きを心がけるといふ、この態度の、今日ほど必要とされる時はない」につながり、「鋲(びょう)つくり二十年」の「永い間同じ仕事をしつづけることに、大いなる誇りをもつて」にも重なる。

 明治以来の立身出世欲を押さえ付けることなく「態度」「誇り」といった心構えが成功の要諦だと説く。「職場奉公」は、軍需生産を拡大するための巧妙なすり替えの思想だった。

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