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神奈川新聞と戦争
(150) 1942年 立身出世を否定しても

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2020年8月15日(土) 05:00

1942年9月8日の本紙に掲載された寿屋の広告「鋲つくり二十年」
1942年9月8日の本紙に掲載された寿屋の広告「鋲つくり二十年」

 マイナスねじのイラストと「鋲(びょう)つくり二十年」の見出し。1942年9月8日の本紙に掲載された寿屋(後のサントリー)の広告である。びょう一筋の職人の物語がつづられている。

 「ドイツの或(あ)る工場で、小さな鋲ばかり、二十年間も、つくりつづける一老職工[工員]がゐる。人は、かうした種類の人間を、とかく甲斐性(かいしょう)がないと軽べつし、本人も又(また)ひけ目を感じ易いものだ」。職業で貴賤(きせん)を判断する差別意識を突いた一節だ。文章は続く。

 「所が、この老職工、いつかうにひけ目を感じないばかりか、むしろ永い間同じ仕事をしつづけることに、大いなる誇りをもつてゐて、常々口ぐせに“自分のつくる鋲が、必要とされる間は、二十年はおろか三十年が五十年でも、この仕事をつづけるつもりだ。立身出世なぞ、問題ぢやないよ”といつて、いまもなほ相も変らず、小さな鋲づくりに余念もない、といふ」

 立身出世主義は明治以来、近代日本で信じられた価値基準であり、エネルギーであり、存立基盤だった。ところが、ここでは「立身出世なぞ、問題ぢやない」と否定してみせる。

 以前、小欄で「国を護(まも)つた傷兵護れ!」と掲げた寿屋の広告を紹介した。日中戦争以降、前線で負傷し復員する兵士が激増したことを踏まえたものだ。政府は傷痍(しょうい)軍人の雇用を企業などに勧奨したほか、政府機関でも積極的に採用した。その背景には厭戦(えんせん)気分を避ける狙いがあった。

 「鋲つくり二十年」の文章にも、相通ずる真意が読み取れないだろうか。

 当時の社会で「軽べつ」の対象とされた工員に「誇り」を抱かせる。それ自体は実にまっとうではある。だが、歌謡曲まで使って総動員体制の浸透を図ろうとした当時の文脈を考えれば、政府の真意が軍需産業の生産性向上にあったことは想像に難くない。

 近代化の原動力だった立身出世を「問題ぢやない」と軽んじてでも、職業への「大いなる誇り」を意識させる必要があったのだ。

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