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神奈川新聞と戦争
(147) 1942年 末端にまで貯蓄を奨励

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2020年7月26日(日) 05:00

 貯蓄奨励運動は、1938年に大蔵省の外局として設けられた国民貯蓄奨励局が担った。前年からの日中戦争で膨張しつつあった軍事費の調達を推進した。

 国立公文書館アジア歴史資料センターの佐久間健研究員によるコラム「軍事費捻出の打ち出の小槌(こづち)」(同館ホームページ「公文書に見る戦時と戦後」所収)によると「国民の末端に至るまで貯蓄組合が作られ、地方の有力者、町会長、貯蓄組合長などが運動の指導にあたった」。県から市町村、隣組単位にわたって目標額が設定され、金融機関などを通じた預貯金や保険加入の勧誘が行われた。

 貯蓄の奨励は、公債を民間で消化させるための政策だった。日中戦争から太平洋戦争へと至る期間中、政府は戦費調達のために公債を大量に発行していた。

 日中開戦後ほどなく成立した臨時軍事費特別会計は、37年度以降の軍事費の会計年度を終戦まで統合する仕組みだった。その間、決算は一度もなく、予算も「ただの1回も1銭の修正されることなく」(同コラム)通過。公債は帝国議会の協賛なく発行できた。

 議会のチェック機能は形骸化した。終戦までの軍事費は86%が公債と借入金で賄われたという。42年7月10日の本紙に掲載された寿屋(後のサントリー)の広告にある「今年の貯蓄目標 二百三十億円」との一節には、そんな融通無碍(むげ)な支出が背景にあった。

 ただ、現実の庶民は冷静だった。前回も引用した平賀明彦の論文「地域における国民精神総動員運動の実情」は新潟市の例を挙げる。市が「各戸に一枚」と債権消化を呼び掛けると、市民の多くは生活費の節約によってでなく、貯金を引き出して国債購入に充てたのだ。「貯蓄の奨励と国債の消化という上から押しつけられた課題に対して、市民は、片方の資金を片方に流用することで名目上両方の『義務』を果たしていた」

 成果は必ずしも上がらなかった。だが、やがて「食糧を始めとする生活必需物資の徹底した配給制」で「生殺与奪の権利」を握ることで、政府は統制の実効性をより強めていく。

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