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【1964東京五輪】〜アーカイブズで振り返る神奈川〜
村長日記(10) 台風過ぎて交歓の夜

連載 | 神奈川新聞 | 2020年9月27日(日) 09:00

 1964年の東京五輪。神奈川には相模湖のカヌー選手村と大磯のヨット選手村が設けられた。神奈川新聞では両村長が日々の出来事をつづった「村長日記」が連載された。五輪イヤーの今年、当時の日付に合わせてこの連載を再び掲載します。海外旅行が一般的でなかった時代、世界各国の五輪選手を迎える緊張や戸惑い、喜びなど臨場感あふれる描写から、1964年と違うもの、変わらないものが見えてきます。

 現代の観点では不適切な表現もありますが、1964年当時の表現、表記をそのまま掲載しています。(※)で適宜編注を入れました。

国道1号から大磯選手村に入る道路に架けられた歓迎アーチ=1964年9月、大磯町国府本郷

富士山に見とれる

大磯選手村村長・馬飼野正治

 二十号台風の影響で朝から風強し。九時三十分瞬間風速三十メートル、イタリアの選手たちが風速計をもって計っていた。選手たちに対する台風情報はインフォメーションに台風進路大地図を示して刻々に変わりゆく状況を知らせるとともに場内アナウンスの方法をとった。ヨーロッパの選手たちは台風の経験がないので珍しがりむしろ勇みだっている。

 十時ついに村長命令で江ノ島行き定期バスの運行を中止した。十一時選手役員の外出禁止をした。この禁止のしかたもなかなかむずかしい。「私たちは毎年台風のにがい経験をしている。そして台風の恐ろしさを知っている。だからあなたがたの生命を守るためにホテル外に出ないようにするのだ」ということばの使い方をしなければならない。十一時三十分非常警備態勢にはいる。警備の組織は村長総指揮のもとに副村長が司会、選手班・国旗班・救急班・情報班など約六十人を九班に編成しそれぞれ班長を置いたものである。

 ものものしい警戒ぶりであったが、さしたる事故もなくおさまった。歓迎アーチが少々傾いたことと国旗掲揚ポールの綱が切断されたり切断されそうになったりしたていどであったが、あすの入村式をひかえ少々頭が痛い。十メートルの高いポールにどのような方法で綱を着け替えるか甲論乙ばくついに明け方の二時までかかって約三十本日本ハイライトKKの手によって全部完了、ひと安心。十四時警戒を解く。十六時、台風一過西日がきびしく照り久しぶりに富士山がくっきりと形を現わした。選手たちはワンダフルの連発でカメラのシャッターを切っていた。

 二十一時三十分、オーストラリアの選手たちより日本の女子通訳とパーティーをしたいとの申し出があり、国際交流のよい機会であるので本館二階ホールで開催することを許可した。まずシャンペンでのどをしめし十五曲のソーシアルダンスを行なったそうだが彼女らの声をきくと、そぼくでとても気分がよかったといっていた。本日の入村一国もなし、しかしあわただしい、しかも緊張した一日であった。


台風20号に緊張

相模湖選手村村長・松原五一

 調理室のうなりで眠りをゆさぶられて、目をさます。雨はまだ続いているが静かな朝だ。やがて朝の国旗掲揚がはじまる。けさの担当は大和市のスポーツ少年団であるが、ほうとうにご苦労さまである。ファンファーレの合図で静かに国旗が上がっていったが、途中で音が消えてしまった。停電のためだ。きのうも再度にわたり停電があったが困ったことである。

前年に完成した相模湖漕艇場の全景。湖にせり出したような本部庁舎の右に合掌造り風の艇庫が見える。右奥の白い建物は、相模湖選手村の女子宿舎として利用された相模湖ユースホステル。湖上の島に建てられた審判塔から撮影したもの=1963年10月、相模湖町(現在の相模原市緑区)

 無気味な静けさがしばらく続いたと思ったら、樹木の葉ずれに目立ってざわめきがおこった。雨をまじえた風が窓をたたきつけて、風速十メートル以上の突風が村内を突っ走っていく。

 すわ台風襲来!!

 要所要所を職員がかためる。

 雨足はますます強く雲の流れも速い。停電がまたはじまる。水道もとまった。緊急事態が迫ったようで村内には異常な空気がただよってきた。停電で最も困ることは調理室の冷蔵庫の冷凍がきかなくなって、食糧が腐ってしまうことだ。調理室の諸君と図って応急の措置をうたねばならない。氷ではとても間に合わない。ドライアイスを持ち込まねば冷凍の役を果たさない。相模湖町にはここで使用するだけの量が補給できないので急きょ八王子分村から持ち込むことにしてその輸送の手配をする。

 ラジオでのニュースで一喜一憂していたが午後二時十分ごろ停電も解除されて台風騒ぎは一段落、職員みなホッとした面持ち。大した事故もなくてほんとうによかった。在村のフランス三選手もおどろいたことであろう。もっとも彼らは台風とか、神風などということの予備知識はあるらしいが…。

 さいわい女子宿舎の方も被害はなかったが、ただ漕艇場の方ではだいぶ被害もひどいらしい。応急対策も容易ではあるまい。アラシの去った湖面にはきれいな夕映えがうつって、満々たる水面にはかすかなうねりがわずかに台風の名ごりをとどめるだけで、またもや平和なひとときを迎えた。夜は選手慰労のための映画会が開かれ、町内に合宿している日本選手にもきていただき、時ならぬ日仏交歓が展開されてほほえましかった。


相模湖選手村の松原村長(左)、大磯選手村の馬飼野村長

神奈川新聞 1964年9月27日付8面

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