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【1964東京五輪】〜アーカイブズで振り返る神奈川〜
村長日記(9) 台風禍を避けたい

連載 | 神奈川新聞 | 2020年9月26日(土) 09:00

 1964年の東京五輪。神奈川には相模湖のカヌー選手村と大磯のヨット選手村が設けられた。神奈川新聞では両村長が日々の出来事をつづった「村長日記」が連載された。五輪イヤーの今年、当時の日付に合わせてこの連載を再び掲載します。海外旅行が一般的でなかった時代、世界各国の五輪選手を迎える緊張や戸惑い、喜びなど臨場感あふれる描写から、1964年と違うもの、変わらないものが見えてきます。

 現代の観点では不適切な表現もありますが、1964年当時の表現、表記をそのまま掲載しています。(※)で適宜編注を入れました。

台風襲来を前に相模湖漕艇場ではカヌー競技の練習が始まった=1964年9月22日、相模湖町(現在の相模原市緑区)与瀬

まるで旧友とのめぐりあい

相模湖選手村村長・松原五一

 雨にぬれる相模野を突っ走って一路横浜に向かう車中は、吉村(※吉村二三子相模湖選手村女子宿舎主任)、田中(隆)両氏とこれからの選手村でのおもしろいプログラムを話し合っていたので約二時間の道程もさして気にもならなかった。

 途中で聞くラジオでは九州方面での台風襲来の報しきり。

 毎年のことながら台風禍をなんとか避けることはできないものだろうか。日進月歩のめざましい科学の力をもってしてもどうにもならないものであろうか。こんなことを考えたりしているうちに早くも県庁に到着、おりから県議会開会中とあって庁内にはなんとはなしのざわめきを覚える。

 相模湖選手村には県職員から男子一九人、女子一〇人が派遣されているが、それぞれの所属課(きょうは本庁だけ)に対し、職員が元気でしかも至ってめんどうな業務をよく勤めてくださっているという報告と、職員の出向中、その仕事の分を分担してくださる上司、同僚の方々にお礼を申し上げたいとかねがね思っていたが、きょうはちょうどよい機会だったので各課を回った。(このほか多くの職員が村にはいるわけだが、この機会に紙上を拝借して同様関係の向きに心から謝意を呈したいと思います)

 私自身も、二カ月の長期間不在にしている国際少年少女会館(※松原村長が館長を務めていた諸外国の子どもたちの交流施設。その後、神奈川県立篠原台青少年の家になったが閉鎖され、跡地は篠原園地の一部などになっている)の職員諸君に会いたくて回ったが、石井館長代理をはじめ職員のみなさんの元気な顔を見て安心し、その励ましの声に送られてあわただしく退館し、江ノ島に向かった。

 オリンピック・ヨット会場となる湘南港は、台風の余波のためか荒れもようで大きなうねりを見せていた。豪華な装いをこらしたヨットハウスのなかは、ちょうど日本選手団の結成式が行われるとあって関係者が多数見えていて活気にみちみちていた。

 所用をすませ、われわれを乗せた車は降りしきる雨をついて大磯へ向かう。

 すばらしい環境にまもられた大磯選手村は、新設したばかりのホテルを選手宿舎としているので設備万端完備していてうらやましい限りだ。

 運営事務室はやはり忙しげに勤務する職員の顔、顔が見え、そのなかに馬飼野村長さんをはじめなつかしい人が多い。なんだか長い間別れていた旧友にでもめぐりあったようでうれしかった。開村以来、多忙な毎日で、聞けば徹夜も幾夜か重ねたとか。疲労と焦すいの色はっきりうかがえ、働く場所こそ異なっても同じ仕事の苦労を思えば、ただただ一同の奮闘と健康を祈るのみだ。

 馬飼野村長さんのご好意で夕食のおもてなしを受けたが、とてもりっぱな献立てで、とくに大好物のおさしみとあって舌つづみをならしておいしくいただいた。久しぶりの賞味に、できるならこの新鮮なおぜん立てをそっくりそのままわが相模湖選手村職員諸君に持っていってやりたいものだと思った。

 帰途に際してはまたもや村長さんの秘蔵?のオーストリア産ワインというおみやげまでちょうだいし、慰問激励する身が逆にねぎらわれてもうすっかり暗くなった大磯をあとに一路相模湖へ…。


選手村は世界一

大磯選手村村長・馬飼野正治

 台風の影響できょうも雨。十一月を思わせる寒さである。終夜勤務の受け付けや守衛のところには暖房を入れた。雨の時には国旗などの掲揚をしないので、会場に緊張感がない。十四時、雨天方式でイタリアの入村式を行なった。何回も行なっている行事であるが胸に迫るものがある。雨の中を雨着も着ないでイタリア国旗を掲揚してくれたボーイスカウトのみなさんに頭が下がる。

大磯ロングビーチ全体を借り上げた大磯選手村のメイン施設「オリンピックホテル」の完成式。工費約6億円、83室、270人収容、眼下に相模湾、西に富士山を望み、完成時点で「選手村にしてはオリンピック史上ゆび折りの施設」と評された=1964年7月14日、大磯町国府本郷

 各国の選手たち数人が江ノ島へでかけたがおそらくヨットの整備のためだろう。十三時、東ドイツから三人入村。いままでにない強い握手を受けた。十六時、オーストラリアから三人入村。二十一時二十分、オランダから九人入村した。これで十二カ国七十四人である。

 オランダ人は自分の国をネザーランドと呼ばれることをきらう。ネザーランドとは海より低い土地という意味であり、オランダ人のたゆまない努力によって海より高い国にしたという。そういえばオランダは全面積の四分の一が海面より低いことや排水に風車やポンプが使用され、干拓地の建設に心血が注がれたことを思い出す。だからホーランドというと喜ぶそうである。

 きょうアメリカプレスの特派員チャールス・B・フラッド氏が来訪、高杉副村長が村内を案内した。非常に品がよく礼儀正しい人であった。彼はこういっていた。規模、建て物、景色、村の運営ともにすばらしい。このような選手村はおそらく過去の世界になかったであろう。また今後もないであろうと称賛していた。お世辞でも村の運営がすばらしいといわれればうれしいし、もっとしっかりやろうという気持ちも出てくる。

 きょうは県の保坂参事(※保坂周助神奈川県オリンピック事務局長)が激励にきてくれた。とても力強く思った。入れかわりに相模湖の松原村長と吉村女子主任および田中隆氏が激励にきてくれた。同じ運命にあるものが苦労を話し合うことは楽しいものであり、肩の荷物が軽くなるような気がする。今夜は台風に備えるための警備計画を樹立し、村長を総指揮に八係りをつくり万一に備えることにした。暗い冷たい雨の中をコツコツとしかも夜を通して村内巡視をされている尊い姿が見える。こういう陰の力がオリンピック完遂に強力なささえとなっていることを忘れてはならない。


相模湖選手村の松原村長(左)、大磯選手村の馬飼野村長

神奈川新聞 1964年9月26日付10面

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