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【1964東京五輪】〜アーカイブズで振り返る神奈川〜
村長日記(8) やはり厚い言葉の壁

連載 | 神奈川新聞 | 2020年9月25日(金) 09:00

 1964年の東京五輪。神奈川には相模湖のカヌー選手村と大磯のヨット選手村が設けられた。神奈川新聞では両村長が日々の出来事をつづった「村長日記」が連載された。五輪イヤーの今年、当時の日付に合わせてこの連載を再び掲載します。海外旅行が一般的でなかった時代、世界各国の五輪選手を迎える緊張や戸惑い、喜びなど臨場感あふれる描写から、1964年と違うもの、変わらないものが見えてきます。

 現代の観点では不適切な表現もありますが、1964年当時の表現、表記をそのまま掲載しています。(※)で適宜編注を入れました。

 この回は当時の休刊日(9月24日)を挟んだため、2日分の出来事が記されています。

大磯選手村の客室=1964年9月、大磯町国府本郷

デンマークの話

大磯選手村村長・馬飼野正治

 きょう(※9月23日)は朝から冷たい雨が降り続き、台風の前ぶれか海も荒れ気味であった。各国の選手も練習ができないので選手輸送用のバスがさびしく往復していた。外国の選手たちはこのようなときにはタマつきに興じたりホテル備え付けのピアノをひいたり、のそりのそりと歩き回っている。

 きのう(※9月22日)朝早くギリシャから五人入村したのできょう現在十カ国五十九人である。入村式を終了した国は、オーストラリア、フランス、ローデシアだけで他は監督がまだきていない、チームリーダーがいないとかの理由で式をあげることができない。

 きのうデンマークのアタッシェであるウォル・パート氏が見えた。からだはでっかいがとても気のやさしい紳士であった。私も昨年の八月コペンハーゲンへ行った。平和な首都であること、とくに王立公園がすばらしいことを話したら非常に喜んでくれ握手のしなおしをした。コペンハーゲンでは王立ヨットハーバーを視察したが、とくに記憶に新しいのは波止場の海中にあるアンデルセンの童話のなかにでてくる「人魚」のことであった。

 この人魚の首を盗まれたという新聞記事を見たのでその事実についてきてみたら平和のようにみえるデンマークにも悪者がいる。

 あの首はいまだに見つからない、だからいまの人魚はニューフェースであるといって笑っていた。小生の英語はまことにあやしいものだが高杉副村長がペラペラで巧みに助言をしてくれるのでこれだけの話ができるわけであり、まことにありがたいことである。

 今晩八時から第二回目の映画の会を催した。箱根の自然、マウント富士の雄姿、マンモス都市東京、京都、奈良の古寺や庭園、げいしゃの着物(彼らはきものを着た美しい日本女性をげいしゃと呼ぶ)等々色彩がすばらしく、見にきを選手は少人数ではあったがワンダフルの連発であった。あす二十四日第三回目の入村式でイタリア一カ国である。雨が降っても形式は少々異なるが式は行なう予定である。きょうはイタリア語のモルテ・グラーツェ(ありがとう)をおぼえたので入村式のあいさつの終わりに一発やろうと思っている。


やさしい心づかい

相模湖選手村村長・松原五一

 連日各国選手団の羽田着の英姿(?)が新聞紙上に報ぜられているが、村には、いつ、どこの国が、何人というような的確な情報がすぐ掌握できなくて困ってしまう。

 OOC(※オリンピック大会組織委員会)情報センターからの報道をたよりに受け入れの準備を進めているがとにかく選手が羽田に降り立ってみなければわからぬとあってはなにをかいわんやである。それでも先のりといっては悪いが選手団の先発の役員が事前に村の状況視察にくるひん度がはげしくなってきた。

視察に訪れたハンガリーの役員に応対する松原村長(右から2人目)ら=1964年9月、相模湖町(現在の相模原市緑区)与瀬

 きょう(二十二日)はハンガリー、フランス、日本の関係者が訪れてきた。

 ハンガリーの監督はきわめて紳士的で、こちらの運営方針を理解してくれ、協力的な態度を示してくれたのでとてもうれしかった。日本選手団団長秘書という立ち場で古橋広之進氏ほか数人が同じように視察調査にこられたが、この方はごく簡単にすんで何事もなかった。やはり言語の壁は大きな障害ということをまざまざと知らされたことだった。

 夕方、女子宿舎を訪れた。この宿舎は県営ユースホステルを転用し、内部を改装して女子選手のための宿舎にあてた訳だが県より派遣された吉村主任以下、秦、横手、加賀、安西、平賀、会田、山口、大貫、柿沢さんたちの懸命の努力のお陰ですっかり整備され、いつでも迎え入れられる態勢になっている。とくに女性特有のやさしい心づかいが宿舎のすみずみまで行き届いていて、きっと女性選手の満足を得ることであろう。女子職員には男子宿舎へもときどききてもらい細かい点に気を配っていただいているが、さすがにとおそれ入るほかない。

 ちょうど時間だったので国旗降納に参列した。折りからの霧雨のなか、スポーツ少年団(女子団員のみ)が威儀を正して降納の式をとり行なっていたが、いつも思うことだけれどこんな時何か音楽が欲しいものである、との感を深くした。(九月二十二日)

 二〇号台風襲来を告げる不気味な空あいから、それらしからぬ細かい雨足がしとしと降りそそいで、ひとしおハダ寒さを感じる。

 午前七時五十分、ラジオによるオリンピック賛歌のファンファーレに合わせ、スポーツ少年団員諸君の手にたぐられてフランス国旗ならびにセット旗が掲揚される。

 あいにくの雨で、レーンコートは身につけてはいるが、そんな雨など吹きとばすような、はちきれんばかりの元気さを見せてつとめてくれる。そのりりしさは全くたのもしいかぎりだ。少年たちが、自分の手で五輪の旗を掲げることを、こよなき誇りと思い、それがやがて真に平和を愛する精神を育て、心身ともにたくましく伸びてゆくことを祈ってやまない。(九月二十三日)


相模湖選手村の松原村長(左)、大磯選手村の馬飼野村長

神奈川新聞 1964年9月25日付6面

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