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【1964東京五輪】〜アーカイブズで振り返る神奈川〜
村長日記(6) 何度も何度も練習

連載 | 神奈川新聞 | 2020年9月22日(火) 09:00

 1964年の東京五輪。神奈川には相模湖のカヌー選手村と大磯のヨット選手村が設けられた。神奈川新聞では両村長が日々の出来事をつづった「村長日記」が連載された。五輪イヤーの今年、当時の日付に合わせてこの連載を再び掲載します。海外旅行が一般的でなかった時代、世界各国の五輪選手を迎える緊張や戸惑い、喜びなど臨場感あふれる描写から、1964年と違うもの、変わらないものが見えてきます。

 現代の観点では不適切な表現もありますが、1964年当時の表現、表記をそのまま掲載しています。(※)で適宜編注を入れました。

大磯選手村のオーストラリア選手団入村式=1964年9月20日、大磯町国府本郷

初の誕生お祝い

大磯選手村村長・馬飼野正治

 八時五十分、けさはローデシア(※英領南ローデシア。現在のジンバブエ)のミセス・バトラーとイギリスのミスタラローの誕生日のお祝いにバースデーケーキを贈ることにした。これはホテルで作ってもらたものだがなかなかのできばえである。ハッピー・バースデー・ツー・ユーの静かな曲の流れの中でハッピーバースデー・コングラチュレーション程度の英語でプレゼントした。拍手がわきおこった。ほんとうに喜ばれた。外人の喜びかたは動作が大きいので小さなケーキでも大きく感じられる。これはなかなかよい思いつきの行事である。

 午後二時オーストラリアチームの入村式を行なった。他の村にさきがけての入村式であるためこの方式が例ともなるのでなん度もなん度も練習をした。山口式典主任のご苦労は並みたいていのものではない。県警の行進曲に導かれてジョンクロスビー団長以下十二人がクリーンの上着にグレーのズボン、白に黒のツバのついた船員帽を若干斜めにかぶったスマートな姿で壇上に乗った。だらだらしているようでも式が始まるとぐっとしまる。真剣そのものである。よく訓練されていると思った。とくに国旗掲揚される時間はすばらしい。村長からこの村の生活を通じて私たちの国、日本を正しく理解してほしい。

 そしてこの大磯選手村が生涯美しい思い出となるよう希望すると述べて幕をとじた。まずは満点、この厳しゅくな入村式に感銘したジョン・クロスビー団長がわざわざお礼にきた。

吉田正雄選手(中央)、小田千馬木監督(吉田選手の左、後ろ姿)ら日本選手団が大磯選手村に到着=1964年9月20日、大磯町国府本郷

 きょう十六時、小田監督以下十四人の日本選手団が入村した。真っ黒に日焼けし眼光するどくたのもしい限りである。ねがわくは村の生活も他国の模範であれ。今晩八時から一時間選手のレクリエーションとして最初の映画会を催した。内容は柔道とフォークソングおよびフォークダンスである。ギリシャ、イギリス、ローデシア、フランスなどの選手たちは大喜びであった。気に入られてほっとした。

 きょう現在八カ国四十二人である。村もしだいににぎやかになる。にぎやかになるほど忙しくなるのであるが楽しいものだ。

入村の状況を伝える大磯選手村事務室内の黒板=1964年9月20日、大磯町国府本郷

フランス選手が入村

相模湖選手村村長・松原五一

 きょうは入村第一陣のフランス選手のご入来だ。思いなしか職員の気持ちもはずんでいるように感ぜられる。十五日開村してみたもののやはりお客さまのいないのは寂しいものだったろう。

 もうすっかり秋めいた湖面を渡る朝風に送られて宿舎を出る。ゆるやかな坂道のじゃりをふみしめながらふとみれば、すっかり整備された湖上のコースも人待ち顔に色とりどりの装いを見せて、ひそやかに忍びよった秋色に染められてゆく湖畔の木々と対比してことのほか美しい。

選手入村を控え準備に余念がない松原村長(中央)ら相模湖選手村のスタッフ。奥に見えるのは、郵便局、両替所、国際電報電話局の窓口=1964年9月、相模湖町(現在の相模原市緑区)与瀬

 第一陣きたるの報で村内は一段と活気を呈しとくにインフォメーションの受け付け、案内の嘉手納、清野両主任をはじめ、新宮、双木、遠矢、足立、飛川、江成、海老名、杉山と組織委員会派遣の通訳諸君は万全の備えを構えてはりきった仕事ぶりを見せてくれる。

 通訳に当たる諸君は、自発的に毎夜ミーティングを行なって意見の調整やら交換をはかっておられるようなので、きっとスムーズな業務の進捗(ちょく)がみられることであろうと安心している。

 昨夜、オリンピック課員の田中隆、中島、鈴木茂君らと話し合ったことに従い、応接室を別に設置することにした。これは来客があっても運営事務局の中では場所は狭いし、周囲が業務のため騒がしいとあっては失礼することが多いので、同じ狭いところであってもと事務室と廊下を隔てた一室を応急にもよう替えしたが、できてみるとやはりそれらしいふんいきもあって、思い切ってこの処置をとってよかった。「村長」もいよいよ長期対策のため選手宿舎の中に個室をもらって住みこむこととなったので携行品を運びこむ。

 午後二時、式典担当の山本君の指揮で、あす行なわれる第一回入村式のためのリハーサルを行なう。二回ばかり練習したが、まあ余り形式ばらずに暖かい心でお迎えすることが何よりだと思っている。

 情報担当の時津君が、代々木の情報センターからの選手到着のニュースを刻々に知らせてくれるのを聞きながら、集まられた各社の記者諸氏としばしのプロ野球談義に興じていると、予定より少々早目に選手着村。

 ちょっと意表をつかれたようだったが、それでもかねての申し合わせに従って各係りはそれぞれの部署につき、業務開始の態勢をとる。第一回の本番なので、ちょっとあがり気味ながら、選手三人に対する所定の手続きがなされ、報道関係インタビューも無事行なわれたのは何よりだった。

 三人のうち、コーチ氏はすでに来日の経験もあり物なれたものだったが、選手の一人は歯痛を訴えていたので日赤に連絡する。さすが本場仕込みの伊達(ダテ)男、愛きょうをふりまいてそつがなく、まずは無事に受け入れ完了。職員の顔にはいずれも期せずして安どの色がうかがえた。

 選手諸君はいったん部屋に落ち着きおそ目の夕食をとったが、元気いっぱいなかなかの健タンぶりを見せてわれわれを安心させた。食後三人そろって夜の湖畔に散歩に出かけたが、日本で迎える第一夜にはるかな故国をしのんでどんな夢を見ることであろうか。


相模湖選手村の松原村長(左)、大磯選手村の馬飼野村長

神奈川新聞 1964年9月22日付6面

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