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【1964東京五輪】〜アーカイブズで振り返る神奈川〜
村長日記(5) 食堂でワインは禁止なのに

連載 | 神奈川新聞 | 2020年9月21日(月) 09:00

 1964年の東京五輪。神奈川には相模湖のカヌー選手村と大磯のヨット選手村が設けられた。神奈川新聞では両村長が日々の出来事をつづった「村長日記」が連載された。五輪イヤーの今年、当時の日付に合わせてこの連載を再び掲載します。海外旅行が一般的でなかった時代、世界各国の五輪選手を迎える緊張や戸惑い、喜びなど臨場感あふれる描写から、1964年と違うもの、変わらないものが見えてきます。

 現代の観点では不適切な表現もありますが、1964年当時の表現、表記をそのまま掲載しています。(※)で適宜編注を入れました。

相模湖選手村の食堂。パン、スープ、スパゲティ、フライドチキン、サラダ、ハムなどがビュッフェ形式で提供された=1964年9月、相模湖町(現在の相模原市緑区)与瀬

選手入村の報に緊張

相模湖選手村村長・松原五一

 朝、各新聞紙をひろげてみて、まず目の中にとびこんできたのは選手村うんぬん……の記事だ。大磯村の中毒事件(※大磯選手村で9月15日に発生した食中毒)は、関係者のみなさんに対してはお気の毒で慰めのことばもない。

 千慮の一失ともいうべきであろうが、このような事件は、現在の自分にとっては他山の石などと傍観している余裕などはなく、全く身につまされる思いだ。貴重な経験として銘記し、その轍(テツ)を踏まないよう今後とも意を注ぎたい。

 代々木本村における韓国、北朝鮮の呼称問題(※文末参照)はやはり重大な警鐘であってわれわれもいつ同じような失態を演じないとはいえない。国際問題の微妙な現今、幾重にも注意を重ね、なんとか紛きゅうを避け、円滑な運営ができるよう努めねばならないと、何回も自分の心にいい聞かせたことだった。そんなことを考えていたら、保坂参事(※保坂周助神奈川県オリンピック事務局長)さんから、同じようなご配慮の電話をいただいて恐縮したり感謝した次第。

 午後、ポーランドの選手団団長とアタッシェが来村、昼食をともにしながら腹蔵ない意見やら希望を聞く、食物についてもなかなか注文が多く、例えば、その時出したソーセージが魚くさいから余り好まないとか、地域による食物の差をじゅうぶん考慮せよとか。今後のことが思いやられる。

 そのあとを追うように代々木本村から小松村長が来訪、村内を巡察されたあと、新しい制服を着そろえた職員に「来村した各国の一人一人がこの相模湖によい思い出を残すように、また国民外交の実をあげ、国際親善に一役になうよう一層のご協力をお願いしたい」との訓辞をいただいた。

 夕刻、OOC(※オリンピック大会組織委員会)からの入電で、フランス選手が入村との報あり。

 いよいよ選手団きたる!!

 職員の顔には、待ちかねていたものがついにきたというはりきった表情がうかがえて、たのもしいかぎりだ。

 選手入村に際しての配室もむずかしい問題である。担当の三上勇夫主任らと宿舎に行き、実地について相談する。選手数とベッド数、さらには電話架設のことなど、限られた条件の中ですべてのものを満足させなければならないのだからたいへんだ。

 それにしても、いつも感謝していることだが、顔に笑いを浮かべ長身を少し前かがみにしながら、宿舎管理というめんどうくさい仕事を少しもいやがらず黙々として当たってくれる三上主任には全く頭の下がる思いだ。

 午後八時、職員の宿舎にあてられている晴風荘にもどる。ここのみなさんも、いつもあいそよくわれわれを迎えてくれ、わが家に帰ったような気安さを覚える。

 しかし、選手がいよいよ入村するので、昨夜からは村長だけは村内で起居するから、この家にお世話になるのもこれでおしまい。夕食は好物のおでんにしたつづみをうち、おかわりをもらってたべた。

※9月18日、代々木選手村本村で、韓国選手の部屋に北朝鮮選手向けの歓迎メッセージが書かれた写真パネルを飾る手違いが発生、選手村本部が韓国選手団に陳謝した。(1964年9月19日付神奈川新聞)


あいさつは日本語で

大磯選手村村長・馬飼野正治

 県から粒よりの職員二十七人が派遣されているし、OOCからの職員や通訳までみんな優秀な人たちであるから、気持ちよく仕事が運ぶ。しかしポジションによっては仕事にアンバランスができているようである。アンバランスができると、とかく和を欠くおそれがあるので注意をはらいたい。

 きょうはイギリスのラロー氏が入村した。選手ではなく整備係りである。二十一歳の若さであるが、なかなかの紳士である。いよいよあすは入村式。団長が来ていないとか、全員がそろっていないとか、いろいろの事情があって、オーストラリアだけであるが、初回であるためリハーサルを行なった。たった十分くらいで終わる式ではあるが、その国の国歌を吹奏し国旗を掲揚することになれば、緊張もする。小生は流調な日本語であいさつする。できないからではなく、ほんとうの日本語を味わってもらいたいからだ。これは少々まけおしみかなー。

アルコールが提供されないためか、コーラで食事をとるフランスの選手ら。大磯選手村の開村式で=1964年9月15日、大磯町国府本郷

 きょうはフランスのミスターピノから文句をつけられた。食堂ではワインをのんではいけないということになっているので(※食堂ではアルコールを提供しない、という選手村共通のルールがあった)、これを伝えると、憤然としてワインはアルコールではない。だれがこんなことをきめた。わがアタッシェにいいつけるということだ。

 もっともだと思うが、あの怒り方は品がよくない。小生もヨーロッパを回ったときに経験しているが、ビールやワインは日本のお茶と同じような考え方で、食前には必ず味わっている。とくにフランスでは女性がさかんにワインをやっている。こういうことまで日本流に禁止することはどうかと思うが、本村でのきまりとあれば従わざるを得まい。こういうところが村長の頭の痛いところだ。今夜はオーストラリアの選手団に、本国からワインが山ほど届いた。われわれもおすそわけをいただき、就寝前に味わせてもらった。甲州ぶどう酒よりうまい。こくがある。このおかげで今夜はねむれそうだ。


相模湖選手村の松原村長(左)、大磯選手村の馬飼野村長

神奈川新聞 1964年9月21日付6面

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