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【1964東京五輪】〜アーカイブズで振り返る神奈川〜
村長日記(3) えらいことがおきて…

連載 | 神奈川新聞 | 2020年9月19日(土) 09:00

 1964年の東京五輪。神奈川には相模湖のカヌー選手村と大磯のヨット選手村が設けられた。神奈川新聞では両村長が日々の出来事をつづった「村長日記」が連載された。五輪イヤーの今年、当時の日付に合わせてこの連載を再び掲載します。海外旅行が一般的でなかった時代、世界各国の五輪選手を迎える緊張や戸惑い、喜びなど臨場感あふれる描写から、1964年と違うもの、変わらないものが見えてきます。

 現代の観点では不適切な表現もありますが、1964年当時の表現、表記をそのまま掲載しています。(※)で適宜編注を入れました。

相模湖選手村の開村式。ファンファーレとともに相模湖町立(現在は相模原市立)北相中、内郷中などの生徒が参加25カ国の国旗を掲揚した。塔屋の付いた山小屋風の建物は、旧相模湖ホテルのもの。同ホテルは、半官半民の神奈川県観光が1949年にオープンしたが、主な顧客だった駐留米軍人が減少して経営難に陥り、京王に売却された=1964年9月15日、相模湖町(現在の相模原市緑区)与瀬

よみがえる感激

相模湖選手村女子宿舎主任・吉村二三子

 記念すべき十五日の開村式もやっと終わり、いよいよ選手の入村を待つのみとなりました。相模湖を展望できる女子宿舎の窓べに立って、数日間のあわただしさを思い浮かべてみると、短時間に過ぎさった開村式の感激があらためてよみがえってくるのです。秋空に鳴りひびくファンファーレ、高々と掲げられた各国の国旗、若さにあふれた少年の日焼けした顔、顔……。県庁の各職場から寄り集まった職員の疲れた表情のなかにも「これからはじまるんだ」という期待と責任感があふれ、すばらしいひとコマでした。

 「さあ、これからは女子宿舎の整理整とんをしなければ…」。選手がいつ入村しても、気持ちよくお迎えできるように、手落ちはないかしら……。女子村(宿舎)を担当する九人の県職員はみんな「最善の努力と誠意をつくそう」と張りきっております。

 あまりにあわただしく、日付けも曜日もすっかり忘れてしまい、カレンダーをさがしだして事務所に張ったり、クモの巣を取り除いたり、庭の雑草取りなどと、宿舎のなかだけでもかなり準備があるのです。

 この宿舎は〝女人の館〟男子禁制というきつい指示があり、守衛さんといえども宿舎内には一歩もはいることはできません。建て物のなかには、地下にボイラーマン、キッチンのコックさんなど限られた人々が働いているだけです。

 宿舎には堂々とはいれるのは相模湖選手村の松原村長さんただひとり。男子村から女子村に訪問希望者がかなりありそうで「その取り扱いをどうしようか」といまから頭を悩ませています。


中毒の汚名返上へ

大磯選手村村長・馬飼野正治

 平和な村であれかしとひたすら祈っていたのに食中毒というえらいことがおきてしまった。十五日の折りづめ弁当が原因らしい。発生場所は外国選手のいる新館とは別むねであり別な調理場であるが、平塚保健所からの連絡を受けてびっくりしてしまった。さっそく高杉副村長、飯田運営主任、山口主任ら幹部職員を集め緊急対策を立てた。

開村式を控え行われた国旗掲揚のリハーサル。掲揚にあたる約150人のボーイスカウトがポールを立てる工事を手伝い、参加46カ国の国旗が揚がった。鷹取山を背景に広がる田園風景も、現在は一面の住宅地に=1964年9月13日、大磯町国府本郷

 とりあえずより確実な情報を掌握するとともに被害を受けた家庭訪問をすることとし、関係ボーイスカウト・コミッショナーを中心とする指導者の方々の積極的なご協力を得て三班編成で家庭などの訪問をした。各家庭および勤務先、学校など涙ぐましいほど理解を示してくれたことはまことにうれしいことであったが、心をこめて奉仕してくださっているボーイスカウトの皆さん、消防の皆さんにまことに申しわけがないことである。謹んで深くおわびを申し上げるとともに責任と誠意をもって事の処理にあたる覚悟である。

 ホテルの支配人も調理人も検便、消毒など細心の注意をはらい完ぺきな備えでのぞんでいただけに気の毒なくらいまいっているようであるが、お互いに激励しあい再びこのようなことのないよう万全を期し汚名をそそぐよう努力することを申し合わせた。村長日記にこのようなことを書かざるを得ないことはまことに残念である。一睡もせずに事に当たったので少々疲れ気味であるが、こういう時にこそ日ごろの体力に物をいわせ、最後までがん張り皆さんの期待にこたえたいと思っている。

 きょうはベネズエラがはいる予定であったがついにこなかった。メキシコから三人の調査員が見え、部屋の調査をしていった。このうちの一人が日本人のスペイン語の通訳がすばらしいといってしきりに称賛してくれたのはほほえましい情景であった。


相模湖選手村の松原村長(左)、大磯選手村の馬飼野村長

神奈川新聞 1964年9月19日付8面

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