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【1964東京五輪】〜アーカイブズで振り返る神奈川〜
村長日記(1) いよいよ開村式、緊張と安堵

連載 | 神奈川新聞 | 2020年9月17日(木) 09:00

 1964年の東京五輪。神奈川には相模湖のカヌー選手村と大磯のヨット選手村が設けられた。神奈川新聞では両村長が日々の出来事をつづった「村長日記」が連載された。五輪イヤーの今年、当時の日付に合わせてこの連載を再び掲載します。海外旅行が一般的でなかった時代、世界各国の五輪選手を迎える緊張や戸惑い、喜びなど臨場感あふれる描写から、1964年と違うもの、変わらないものが見えてきます。

 現代の観点では不適切な表現もありますが、1964年当時の表現、表記をそのまま掲載しています。(※)で適宜編注を入れました。

開村式当日の大磯選手村。完成したばかりの大磯ロングビーチホテル(現在の大磯プリンスホテル。写真の建物は現存しない)を利用した=1964年9月15日、大磯町国府本郷

開村式90点のでき

大磯選手村村長・馬飼野正治

 十一時三十分、どんより曇った空に突きささるようなファンファーレを合図に各国の色模様とりどりの国旗が掲揚された。いよいよ開村式である。自分が主人公であることを自覚するとき、かつてない緊張感に胸をしめつけられた。オーストラリア、ギリシャ、フランスの選手代表も参列し、いともおごそかに予定通り終了した。まずまず九十点。津田副知事(※津田文吾氏。後に神奈川県知事)の音頭で乾杯、選手の食事を約二百人の来賓に試食してもらった。カフェテリア方式で一日六千カロリー、色もにおいも味もよし。思いきって食べてもらった。

 十五時四十七分オーストラリアの三人が到着、十七時二十二分ローデシア(※英領南ローデシア。現在のジンバブエ)の三人も到着、これで入村人員は十八人である。村長は選手が到着するごとにチームリーダーのでっかい手と握手し「私は大磯選手村の村長です。ようこそいらっしゃいました。心からかんげいいたします」……これはりゅうちょうな英語?でしゃべるのであるが何回もやると自信がついてくる。どの選手もにこやかでとても感じがよい。さすがハイクラスだけはある。

 夕やみ迫るころ各国旗が静かに降ろされる。やれやれと思う。とたんに続けざまに村長の決定すべきいろいろの問題が持ち込まれる。全く休み間もない。ただし忙しいということはまた楽しいものである。うちの職員は実によく働く。手を合わせておがみたいようだ。何の事故もなく初日を終わりあすに備えて活力のでる薬をみんなでのんだ。

開村式であいさつする大磯選手村の馬飼野村長。後年、「日記といっても、気楽に好きなことを書くわけにいかない」「へたなことを書けば(中略)国際問題にも発展しかねない」「わずかな記事に一時間はたっぷりかかった」と執筆の苦労を振り返った
馬飼野 正治(まがいの・まさはる) 1912(大正元)年生まれ。静岡県出身。神奈川県立横浜第二中(現在の翠嵐高校)などで体育を教え、戦後、神奈川県体育課長などを歴任。82(昭和57)年に神奈川文化賞受賞、98(平成10)年のかながわ・ゆめ国体実行委員会では副会長を務めるなど、神奈川スポーツ界のけん引役として活躍した。2001(平成13)年死去。

まごころで接する

相模湖選手村村長・松原五一

 前夜から心配された空もようもどうやらくずれることもなく、相模湖畔に朝を迎えた。用意万端ととのった選手村に開村式に出席する人たちがぞくぞくつめかけ、職員や通訳の制服姿の動きがいちだんとはげしくなった。午前十一時四十五分、県警音楽隊が演奏するファンファーレが高らかに鳴りひびき、満々と静かに水をたたえる湖面に流れると、会場には一瞬、緊張の空気がみなぎる。

開村式当日の相模湖選手村。その後相模湖町役場(現在の相模原市相模湖総合事務所)になった=1964年9月15日、相模湖町(現在の相模原市緑区)与瀬

 つぶらなひとみをかがやかせて、国旗掲揚のロープをたぐるチロルハットに半ズボンのキビキビした少年たち。するすると静かにポールをのぼっていく各国の国旗をながめて、オリンピック開幕の感激がジーンと胸をしめつける。“いよいよ開村だ”という緊迫感と責任感が全身をこわばらせる。これと同時に、参加国二十五カ国、役員選手約三百人の“いこいと安らぎ”を守ってゆくための覚悟と不安が奇妙な感情になって交錯、脳裏を突っ走る。

 式典を担当してくれた山本稔弘君はじめ全職員の献身的な努力がようやく実を結んで、厳粛な開村式をつつがなく終了することができた。外国の人たちの限りない善意と協力をこころのささえにして、全力をつくしてがんばらねばと、自分にいい聞かせ固くこころに誓った。

 開会式には外国選手は参加しなかったが、十九日ごろには第一陣が乗り込んでくる。食事、衛生面で問題を起こさないよう最大の注意をはらう。そして、すこしぐらいことばが通じなくても、こちらが誠心誠意をもってあたれば、相手はスポーツマンだ。必ずこれを感じ取ってくれるだろう。

相模湖選手村の松原村長
松原 五一(まつばら・ごいち) 1916(大正5)年生まれ。東京都出身。神奈川県社会教育主事、相模原専修職業訓練校校長、県立三浦臨海青少年センター所長などを歴任。レクリエーション指導の権威で、日本レクリエーション協会理事などを務め、「図解たのしいゲーム」などの著書も残した。79(昭和54)年死去。

神奈川新聞 1964年9月17日付8面

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