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やまゆり園 事件考
「美帆」さん 生きた証しを 母が手記と写真公開

社会 | 神奈川新聞 | 2020年1月11日(土) 09:47

19才の美帆です。平成28年4月にやまゆり園に入所しました。敷地内の作業室に休まずに通っていました。ボールペンを組み立てるなどの作業をしていました。最後に会ったのは7月24日(日)です。もう少し髪が伸びたら晴れ着を着て一緒に写真を撮るのが楽しみでした。
19才の美帆です。平成28年4月にやまゆり園に入所しました。敷地内の作業室に休まずに通っていました。ボールペンを組み立てるなどの作業をしていました。最後に会ったのは7月24日(日)です。もう少し髪が伸びたら晴れ着を着て一緒に写真を撮るのが楽しみでした。

 障害者ら45人が殺傷されたやまゆり園事件から3年余り。犠牲者の1人、19歳の女性の遺族が末娘の名前を明かした。「美帆」さん。公判では「甲A」との呼称だが、一生懸命生きていた証しを残したい、との思いからだった。報道各社に寄せられた手記全文と写真を紹介する。

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 大好きだった娘に会えなくなって3年が経ちました。時間が経つほどに会いたい思いは強くなるばかりです。会いたくて会いたくて仕方ありません。

 本当に笑顔が素敵でかわいくてしかたがない自慢の娘でした。アンパンマン、トーマス、ミッフィー、ピングー等のキャラクターが大好きでした。

 音楽も好きでよく「いきものがかり」を聞いていました。特に「じょいふる」が好きで、ポッキーのCMで流れるとリビングの決まった場所でノリノリで踊っていたのが今でも目に浮かびます。

 電車が好きで電車の絵本を持ってきては指さして「名前を言って」という要求をしていました。よく指さしていたのは特急スペーシアと京浜東北線でした。


生後半年の美帆です。音に敏感でしたがミルクをよく飲みました。
生後半年の美帆です。音に敏感でしたがミルクをよく飲みました。

 ジブリのビデオを見るのも好きでした。特にお気に入りは、魔女の宅急便と天空の城ラピュタ。他のビデオも並べて順番に見ていました。

 自閉症の人は社会性がないといいますが、娘は、きちんと外と家の区別をしていて、大きな音が苦手でしたが、学校ではお姉さん顔をしてがんばっていたようでした。外では大人のお姉さん風でしたが、家では甘ったれの末娘でした。


8才の美帆です。父のあぐらに乗っています。口の中に中指、薬指を入れるのが癖でした。
8才の美帆です。父のあぐらに乗っています。口の中に中指、薬指を入れるのが癖でした。

 児童寮に入っていた時、一時帰宅すると最初のうちは「帰らない、家にいる」と帰るのを拒否していました。写真を見せて「寮に帰るよ」と声かけすると、一応車に乗り寮の駐車場に着くものの車からは出てきません。「帰らない」と強く態度で表していました。パニックをおこして大変だったけれど、うれしい気持ちもありました。

 2年くらいは続いていましたが、それ以降は自分は寮で生活するということがわかってきたようで、リュックをしょって泣かずに帰っていくようになりました。親としては淋しい気持ちもありましたが、お姉さんになったなあといつも思っていました。


中学1年生の時の美帆です。おでかけした時の写真です。言葉はありませんでしたが、いろいろな事を理解しているようでした。言いたいことを態度で示しカード(人や物や場所が写真で示されています)を使い伝えてきました。音楽が大好きでいきものがかりの歌にあわせて踊っていました。遺影に使った写真です。葬儀にはのべ200人位が来てくれました。
中学1年生の時の美帆です。おでかけした時の写真です。言葉はありませんでしたが、いろいろな事を理解しているようでした。言いたいことを態度で示しカード(人や物や場所が写真で示されています)を使い伝えてきました。音楽が大好きでいきものがかりの歌にあわせて踊っていました。遺影に使った写真です。葬儀にはのべ200人位が来てくれました。

 月1くらいで会いに行き、コンビニでおやつと飲み物を買い、一緒にお庭で食べるのですが、食べおわると部屋にもどることがわかっていて、食べている間中、「歌をうたって」のお願いをされ、よくアンパンマンの「勇気りんりん」とちびまる子ちゃんのうた、犬のおまわりさん等、うたっていました。私のうたをBGMにしておやつをおいしそうに食べていました。

 自分の部屋にもどる時も「またね」と手を振ると、自分の腰あたりで、バイバイと手を振ってくれていました。泣きもせず、後おいもせず部屋に戻っていく後ろ姿を見ていると、ずいぶん大人になったなと思っていました。

 美帆はこうして私がいなくなっても寮でこんなふうに生きていくんだなと思っていました。人と仲よくなるのが上手で、人に頼ることも上手でしたので、職員さん達に見守られながら生きていくのだなと思っていました。

 言葉はありませんでしたが、人の心をつかむのが上手で、何気にすーっと人の横に近づいていって前から知り合いのように接していました。皆が美帆にやさしく接してくれたので人が大好きでした。人にくっついていると安心しているようでした。

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 美帆は一生懸命生きていました。その証を残したいと思います。恐い人が他にもいるといけないので住所や姓は出せませんが、美帆の名を覚えていてほしいです。

 どうして、今、名前を公表したかというと、裁判の時に「甲さん」「乙さん」と呼ばれるのは嫌だったからです。話を聞いた時にとても違和感を感じました。とても「甲さん」「乙さん」と呼ばれることは納得いきませんでした。ちゃんと美帆という名前があるのに。

 どこにだしても恥ずかしくない自慢の娘でした。家の娘は甲でも乙でもなく美帆です。

 この裁判では犯人の量刑を決めるだけでなく、社会全体でもこのような悲しい事件が2度とおこらない世の中にするにはどうしたらいいか議論して考えて頂きたいと思います。

 障害者やその家族が不安なく落ち着いて生活できる国になってほしいと願っています。障害者が安心して暮らせる社会こそが健常者も幸せな社会だと思います。

2020年1月8日
19才女性 美帆の母



 手記は原則、原文のまま。写真説明はいずれも遺族による。

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