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語り継ぐ関東大震災(中)
未曽有に学ぶ〈65〉「石碑探し」の旅へ 千葉

社会 | 神奈川新聞 | 2019年9月12日(木) 12:09

小薗助教(左)と石碑調査について振り返る「TSU震災史研究プロジェクト」の学生たち=8月、東京都内
小薗助教(左)と石碑調査について振り返る「TSU震災史研究プロジェクト」の学生たち=8月、東京都内

 〈嗚呼(ああ)大正十二年九月一日ハ我(わが)國民(こくみん)ニ絶大ナル悲惨甚深(じんしん)ナル哀痛ヲ與(あた)ヘ〉
 
 関東大震災翌年の1924(大正13)年に立てられた震災記念碑。刻むのは、被害の全体像ばかりではない。地元に深刻な被害が生じなかったことを後世に伝えようとしている。

 〈震災圏内ニ属シタリシモ其(そ)ノ勢力比較的緩和セラレ住家倉庫等ノ損害極メテ少(すくな)ク人畜ノ死傷無カリシハ實(じつ)ニ最大幸福ナリシト謂(い)フベシ〉
 この碑があるのは、千葉県鎌ケ谷市。東京都心から北東へ約25キロに位置し、震源地の小田原付近からは100キロ近く離れている。

 10万5千人余りが死亡、行方不明となった関東大震災では、東京(約7万300人)と神奈川(約3万2800人)の犠牲者が98%を占めた。1%強の約1300人が命を失った千葉は「第3の被害県」だ。

 中でも、鎌ケ谷市のような北部は比較的被害が小さかった。それでも「鎌ケ谷村一同」は〈凶厄ニ惨死セル人々ノ精霊ヲ弔慰シ且(かつ)後世子孫ヲシテ天地異變(いへん)ノ真ニ敬畏スベキヲ知リテ〉と、石碑を立てた。

 先人のそうした思いは、「これまであまり顧みられることがなかった」と、日本近現代史を専門とする東京成徳大助教の小薗崇明(40)。「キャンパスのある千葉県内に石碑がどれくらいあるか調べよう」と有志の学生を募り、1、2年生計6人と「TSU震災史研究プロジェクト」をスタートさせた。2016年10月のことだ。

判読


千葉県鎌ケ谷市の震災記念碑。市役所の敷地内にある
千葉県鎌ケ谷市の震災記念碑。市役所の敷地内にある

 「ずっと千葉に住んでいるけれど、石碑のことなんて知らなかった」と、当初からプロジェクトに関わる人文学部4年の吉種佑香(22)。船橋市を皮切りとした「石碑探し」の旅は苦労の連続だった。

 市町村史などを頼りに震災に関係する石碑に当たりをつけて現地を訪ねるものの、カーナビで探しても目当ての碑が見つからない。ようやくたどり着くことができても、難解な文章の解読に閉口した。

 「読み慣れていない旧字体ばかり。カメラで碑を撮影し、後で文字起こしをしようとしても、最初はなかなか判読できなかった」と吉種。調べ直すために何度も足を運ぶという作業を繰り返す中、ビデオカメラで碑文を撮影しながら読み上げ、映像と音声で記録する手法が有効だと気付いた。現場では緯度と経度を記録し、石碑のサイズも測定。調査成果を一覧や地図にまとめていった。

 千葉市や香取市、いすみ市、袖ケ浦市…。東京、神奈川を合計した面積より広い千葉県の各地を3年近くかけて回り、見つけ出した震災関連の石碑や記憶をとどめる場所は60ほど。「最初は心が折れそうだったけれど、数をこなしていくうちに碑文が読めるようになってきた」と、同じく人文学部4年の鮎川華歩(21)は振り返る。

 
 

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