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2020年1月の記事から
【ウェブ版解説】報道にとってのパンデミック対策

ジャーナリズム時評 神奈川新聞  2020年02月19日 02:00

 新型コロナウイルスに伴う肺炎(コビッド19=COVID19)が日本国内においても感染症の拡大を招いており、当然、神奈川新聞本紙を含め新聞・テレビ・ラジオ等で、大きな扱いで報じられている。その報道に際し、新しい注意点は何もない。いわば、すでにいわれてきたことの繰り返しではある。しかし、あえて何度も確認しておくことは大切であると考え、報道ポイントを列挙しておきたい。

1.リスクゼロ信奉は危険だ
2.社会的隔離と医療的隔離は別物だ
3.情報の「見える化」が絶対だ
4.日本は移動の自由に厳しい国であることを知っておいた方がいい
5.弱みに付け込んだ悪乗りは許さない

 第1に、社会はついついリスクゼロを求めがちになるが、そうした時の歯止めがジャーナリズムの役割だ。さすがに今日段階(2月18日)で、ここまで国内感染が明らかになると、水際作戦はほぼ無効化しているし、そもそも入国検疫さえも実効性が危ぶまれていて、これまでの常識や慣習を転換する必要性に迫られている。しかしそれでもなお、自分もしくは自分の属する社会を「守る」ために、他者(異者)を排斥することで、リスクを減じようとしがちだ。しかしこうした社会行動が、結果として社会的差別を生む温床になることをわたしたちは知っている。関東大震災における朝鮮人虐殺もその1つだろう。同じことが、中国人や感染者、回復者、あるいは感染者との接触可能性があった人たちに対して起きることを想定して、報道対応をとってほしい。

 第2に、医療的隔離が必要なことは言うまでもないが、社会的隔離はハンセン病の事例を待つまでもなく、国家的(社会的)差別と直結する危険性がある。個人を守ることは大切であるが、社会を守ることで個人の人権を損なうことがあってはならない。上記の第1と同様に、この点は本紙で詳しく触れているのでご覧いただきたいが、国(とりわけ今の政府)は、見た目重視のために(例えば他国からの評判)、感染の封じ込め名目で社会的隔離を推し進めがちな傾向が強い。だからこそ、一段と警戒心をもって取材力を発揮してほしい。

 第3に、結果的に日本では、感染者隠しが進んでしまっている。しかも、この点についての報道機関の追及は甘い。クルーズ船の感染拡大も、船内封じ込めで「日本ではない」ことにした結果、国内感染者数は増加が少なかったかもしれないものの、船内の爆発的感染に手を貸してしまった。医療機関内の検査体制がないことを理由に、検査が遅れた結果、死者も出たし、国内感染も進んでしまっている可能性も高い。これらは事前の備えが不十分であったこととの反映でもあるとされるが、それも含めジャーナリズムにおける過去の感染症対応の検証が不十分であったことの表れだ。

 やり直しはきかないが、目の前の事態の進行を追うとともに、制度・構造の問題にも目を配らせる必要がある。そして、行政対応の透明性確保を日々取材現場で求め続ける必要がある。まさに現場になっている神奈川県や川崎市・横浜市も、個人情報あるいはプライバシーを理由とした過度の行政保有情報の不開示傾向がみられるからだ(例えば、川崎市民ミュージアムの被害作品リストの個人情報を理由とした全面不開示事案)。

 この見極めを個々の現場できちんとし、行政の責任回避や事なかれ対応を改めさせることが必要だ。また、その前提としては、現在の感染者に対する対応も含め、その意思決定過程をきちんと記録させることが必須で、これがのちに検証されることで、次の備えが可能になる。この「残すためのプレッシャー」をかけ続けることも、昨今の中央・地方の政府の隠蔽(いんぺい)・無責任体質のなかで、ジャーナリズムの重要な役割である。

 第4に、日本はただでさえ、行政の広い裁量によって、移動の自由が制約されている国であって、司法判断もそれを広く許容していることを知っておく必要がある。今回の事例を通じて、メディアの報道も(世論も)、政府がより強く隔離や入国制限をすべきという姿勢を示している。しかしこれは相当に危険だ。なぜなら最近の事例でも、ジャーナリストの出国が政府都合で認められなかったり(旅券法)、難民申請者が長期にわたって入管施設に留め置かれ、多数の抗議のためのハンガーストライキが行われ、餓死者も発生しているのが現実だからだ(入管難民法)。これについては拙稿(東京新聞2020年2月13日寄稿)を参照いただきたい。

 第5に、国会で大真面目に緊急事態条項の導入が語られていることを看過しえない。さすがに与党内でも慎重論が出てはいるが、こういう悪乗りは厳しく批判しておく必要がある。実際、ネット上ではまことしやかに、その必要性が喧伝(けんでん)されているからだ。すでに国内法として、十分な対応制度がある。しかもこれらの制度(とりわけ新型インフルエンザ等特措法)には、きわめて強力な私権制限条項があり、その運用は広範に行政機関に委ねられている。緊急事態宣言さえしてしまえば、たとえば現在の中国と同じような強権的な全面的な生活制限が可能ということだからだ。しかも、現政権は閣議決定や官邸の独断による法解釈の変更を次々繰り出し、極めて強権的な姿勢を平時でさえも示しているだけに、強い警戒が必要ということだ。これについても拙稿(琉球新報2020年2月8日寄稿)を参照いただきたい。

 このほか、取材者自身の感染症に対する最低限の備えが必要なことは言うまでもない。原発事故の際に一部では、科学的知識の欠如ゆえに結果的に危険な取材をしてしまった反省を、ここでも改めて思い起こすことが大切だ。その一つの基準は、医療従事者の防御基準が参考にはなろう。ただし一方で、過剰な反応についても原発取材の反省を生かす必要がある。事故当時、住民の避難所に放射線防護服で行き、大顰蹙(ひんしゅく)を買った事例など枚挙にいとまがない。今回も、たとえばフェースシールドをすべき場所の見極めは十分にしてほしいと思う。すでに、テレビでリポーターが感染者の発生した地域から、多くの住民が普通に生活しているにもかかわらず、マスクをして中継する画には疑問をいだかざるをない。同じことは、中継はされなくても新聞取材の県内の取材でも十分に起こりうる事態だろう。

 このように、新型コロナウイルス感染症をめぐる報道には、ジャーナリズムの普遍的な大きな課題があるだけに、本紙をはじめ各報道機関には、しっかりした紙面・番組作りを期待したい。

※詳しくは、本紙版「ジャーナリズム時評」をお読みください。

山田健太(やまだ・けんた)専修大学ジャーナリズム学科教授・学科長。専門は言論法、ジャーナリズム研究。日本ペンクラブ専務理事。主著に「沖縄報道」「法とジャーナリズム第3版」「現代ジャーナリズム事典」(監修)「放送法と権力」「ジャーナリズムの行方」。


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