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時代の正体 沖縄考
山城さんに聞く【3】 米国統治 日米への愛憎が混在

時代の正体 神奈川新聞  2020年02月13日 09:13

中学時代のB52爆撃機の撤去運動が山城さんの反基地運動の原点だ=沖縄県名護市
中学時代のB52爆撃機の撤去運動が山城さんの反基地運動の原点だ=沖縄県名護市

 春になると、その日は巡ってくる。4月28日。本土は「主権回復の日」と祝い、沖縄は「屈辱の日」と呼ぶ。

 1952年、サンフランシスコ講和条約が発効したこの日、敗戦国の日本が独立を回復する一方、沖縄は米国の統治下に置かれた。以後、沖縄は本土とは異なる景色を見続ける。憲法が適用されず、戦禍の傷が癒えぬまま過酷な歴史を強いられた。

 屈辱の日は沖縄でも長く人々の記憶の奥底に眠ってきた。にわかに目覚めたのは2013年、安倍政権が主権回復を記念し、式典開催をぶち上げた時だった。沖縄は沸騰し、知事は出席を辞退した。

 果たして東京・憲政記念館で開かれた式典当日、退席する天皇、皇后両陛下(現・上皇、上皇后ご夫妻)を前に出席者から突如、声が上がった。「天皇陛下、万歳」。戸惑いの表情を見せる両陛下をよそに、安倍晋三首相や国会議員らがそろって両手を上げ、万歳を三唱する。知事の名代を務めた副知事は唱和することなく、ただ呆然(ぼうぜん)と着席したままだった。

 「私はなぜこの式典に出ることになったのか」。会場を後にした天皇陛下は不満げな表情で側近に漏らした。

■ ■ ■

 沖縄が日本から切り離された同じ年の9月、沖縄の平和運動のリーダー、山城博治さん(67)は本島中部の具志川市(現・うるま市)に農家の次男として生まれた。

 「戦後、沖縄は貧しくてね。人々はかやぶきやトタンぶきの家で暮らしていました。私もはだしで野山を駆け回ったものです」

 一方、米軍基地の中は別世界だった。真っ白な低層の家が建ち並び、青々と広がる芝生の庭では子どもたちがブランコを揺らす。隔てるのはフェンス1枚。富める米国の象徴を眺めながら育った。

 島は米軍一色に染め抜かれ、基地は身近な存在だった。

 父は修理工として海兵隊の基地で働き、正月や盆になると職場の米兵を自宅に招いた。沖縄料理を食し、泡盛に酔って雑魚寝する。その中に1人の若者がいた。「ジョンソン」と名乗り、親しくなったが、ある日を境に忽然(こつぜん)と姿を消した。当時、ベトナム戦争は激化の一途をたどっていた。

 「子ども心に思いました。『ベトナムで死んだんだ』と」

 日常に溶け込んだ基地の延長線上に、戦争を感じながら生きる。それは今も変わらない。

■ ■ ■

 日本を選ぶか、それとも米国か。戦中、戦後の沖縄は二つの国家に翻弄(ほんろう)される歴史を強いられた。山城さんは当時の人々の揺れ動く心持ちを「ねじれた感情」と表する。

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