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神奈川政経懇話会講演録
横浜は京急グループの中心 原田一之・京浜急行電鉄社長

経済 神奈川新聞  2020年01月29日 17:00

 京浜急行電鉄の原田一之社長は2019年12月12日、横浜市西区の京急グループ本社で開かれた神奈川政経懇話会の12月定例会で講演した。「地域と共に歩んだ120年」と題して創業からの歴史をひもときつつ、東京都内から横浜駅近くに本社を移転した意義を強調した。

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 原田社長は京急の前身となる京浜電気鉄道と湘南電気鉄道が横浜で結節し、三浦半島に至る鉄道網を獲得した経緯を紹介。その上で、横浜駅が沿線で最も乗降客数が多い駅だと指摘し、「京急グループにとって横浜は中心となる場所」との認識を示した。

沿線最大の乗降人員


講演する京急電鉄の原田社長
講演する京急電鉄の原田社長

 本日は、これまで京急グループが横浜とどう関わってきたのか、京急にとって横浜がどういう存在なのかを含め、今後、横浜を京急沿線の中心地としてどのように活性化させていくかについて、大規模再開発を控える品川、国際化が進む羽田空港との関わりを中心にお話ししたいと思います。

 2018年は会社創立120周年、2019年は創業120周年を迎え、当社にとってこの1、2年は意義深い年でした。1898年2月に会社が設立され、翌1899年1月21日の「初大師」の日に初代の六郷橋から川崎大師までわずか2キロメートル強の大師電気鉄道として開業しました。その直後の4月には京浜電気鉄道と社名を変更しました。「京浜間の動脈として走る鉄道になる」という目的の表れでした。

 横須賀方面に向けては黄金町―浦賀間を走る湘南電気鉄道(1930年開業)と1941年に合併、現在の京浜急行鉄道の路線網と会社の原型ができあがりました。1942年からは戦時統制によって京浜電気鉄道と東京急行電鉄、京王帝都電鉄(現京王電鉄)、小田急電鉄の4社が合併し東京急行電鉄として統合しました。戦後、「大東急」からそれぞれが分離独立し、1948年6月に京浜急行電鉄が設立されました。

 これまで京急本社は川崎、品川と移りましたが、横浜に本社があったという歴史はありません。しかし、現在の京急本社のある位置は、国鉄(現JR)の高島ヤードがあった鉄道由来の土地です。また「大東急」時代に当社線を管理する東京急行電鉄品川営業局が、横浜駅東口の現在の横浜スカイビルの位置にあった横浜新興俱楽部に移転しました。

成長の3つのエンジン


「品川、羽田、横浜のトライアングルが成長のエンジン」
「品川、羽田、横浜のトライアングルが成長のエンジン」

 さて、なぜ京急本社を移転したのかということですが、JR東日本の山手線新駅「高輪ゲートウェイ駅」新設を伴う品川再開発を進展させるため、区画整理事業エリアにあった旧本社(東京都港区高輪)の移転が不可欠になりました。あらゆる移転先を模索する中で、横浜市が進出企業を公募していたみなとみらい地区のこの場所に巡り合ったということです。

 普通、関東の私鉄各社の本社の多くは山手線に接し、各社で最も乗降人員の多いターミナル駅にあります。しかし京急の場合、旧本社が接していた品川駅は1日の乗降人員が28万人で第2位です。最大なのは32万人という乗降人員を誇る横浜駅です。ですから京急にとって横浜駅は、山手線のターミナル駅に匹敵、あるいはそれ以上の駅であり、神奈川県内で事業展開しているグループ会社にとっても中心の場所だということが横浜移転の大きな理由でした。横浜駅東口から徒歩で本社に来られるというのも選定の理由です。

 ここからは将来の事業展開についてお話しします。

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