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2019年12月の記事から
【ウェブ版解説】時空を超えた対応力で時代を語る

ジャーナリズム時評 神奈川新聞  2020年01月15日 02:00

 新聞の強みは時空を超えた対応力だ。2次元の時間軸と、3次元の場所軸に対し、安定的継続的な取材網で対応する力を持っている。それは、過去・現在・未来を常に意識しながら記事作りをするということだし、世界中の現場に直接記者を派遣し、そこから最新のニュースを伝えることを原則としているからだ。

 たとえば、昨2019年の日韓関係は、戦後最悪と言われたが、その直接的な事件としては2018年末以来の元徴用工の賠償をめぐる裁判やそれをめぐる政府対応がある。1次的には、目の前の判決や両国政府の方針や思惑を報じる「現在の眼(め)」が大切なことは言うまでもない。

 しかし同時に、時代的背景として韓国でこれほどまでに過去にこだわっていることの一つとして、2019年が3.1運動からちょうど100年目であることと切り離して考えることはできまい。必ず「過去の眼」が求められるということだ。

 現在、第3次韓国ブームといわれ、若者層を中心にさまざまな文化的側面で強固なつながりを示す一方、大人の世代はそれに水を差すような歴史教育やヘイトスピーチを続けている。だからこそ、最も近く深いつながりがある隣国との関係を、どのように発展させていくのかの「将来の眼」を、常に意識することが大切だ。

 こうした時間軸とともに、常に現場の、しかもそこに住む市民の声や事情を伝えるため、直接取材の機会を確保し続けているのが新聞社の強みだ。神奈川県内の場合はもちろん、全国あるいは世界各地の状況を、通信社を通じ紙面化できるからだ。

 同時にこうした現場の取材を支え、あるいはリポートに厚みを加え、場合によっては補足するのが知識力だ。長い報道活動の歴史のなかで育まれた経験や知識の蓄積が、常に記事を裏打ちしているはずである。

 逆に言えば、今日の新聞社の記事が薄っぺらいと批判されるのは、こうした、現場力や知識力が不足していることを見透かされていたり、先に挙げたような過去・現在・未来の眼のいずれかが欠けていることの裏返しであろう。

 こうした新聞記事のチェックリストとして、受け手の側も送り手の側も、4升(ます)で考えるとわかりやすいのではないか。4こま漫画も含め起承転結の4展開は、私たちが古くから培ってきた思考回路にも合っている。ならば、新聞ジャーナリズムの手法や役割を、4つに分けて現在の紙面作りを検証してみたい。

 その1つが、本紙でも掲げた類型図である。ここでも同じものを掲出する。こうした区分は、通常たいした意味を持つものではないが、自分たちの仕事の役割を意識することで、総合的な紙面作りがより明確になるのではないか。スペースが決まった紙面で、社会の全体像を伝えることを実現するための知恵だからである。


 一般的な記事スタイルをこの図に当てはめてみよう。通常、新聞記事には、①ストレート記事(時事もの)=図の「速報」領域、②企画・特集記事(長尺もの)=同「調査」領域、③フィーチャー記事(囲みもの)=同「読み物」領域、④コラム(社説、論説を含む)=同「論説」領域、がある。こうした区別は、現行の法制や司法判断の際にも使われている。たとえば著作権法では新聞記事に関しての特例として、社説や、事実の伝達にすぎない雑報および時事の報道は、許可なく自由に使用が可能だ。

 ただし理由づけは異なり、社説・論説は、著作権はあるが社会公共目的で無許可での転載が認められる。これに対し、死亡記事や火事などの短信は、オリジナリティーが認められず著作物としての保護を受けないとされている。

 あるいは、刑法の名誉毀損(きそん)罪の適用においても、事実を報じる一般記事と、意見・論評は別枠での取り扱いになる。こうした背景には、客観記事か(執筆記者の主観をできる限り排した記事か)、主観記事か(むしろ記者の思いを強く反映した記事か)という違いがある。

 日本の新聞の記事は通常、主語を省略した文体を使用している。よく使用される「・・・とみられる」は、情報源をぼかして本当は特定の人物が語っている内容を地の文に溶け込ませることで、いわばごまかしている場合も少なくはないが、「私が思う」の「私」を、「一般的にみんなが」という主語に置き換えることで、客観性を醸し出しているものでもある。

 これに対し、とりわけ最近は、「私(一人称)」を明記した記事が増えてきている。これらは上記のカテゴリーで言えば、フィーチャー記事に当てはまるだろう。本紙でいえば、「時代の正体」は企画・特集の長尺記事であるが、性格としては執筆記者の主観が色濃く反映した「私」記事ということになる。文体の主語は省略されている場合も多いが、執筆者を写真付きで紹介することで、いわば一般記事との違いを際立たせている。

 ただしこの主観と客観の違いは、その境が少し曖昧になっている傾向だ。一つには、名前を出すことで記者の「顔」が見えやすくなり、新聞(記者)と読者の距離を縮める効果を狙ったり、記事の責任所在をはっきりさせる意味合いなどから、いわゆる客観記事においても署名記事が増えているからだ。

 それは、上記の4分類でいえば、①(あるいは②)と③の境界線が見えづらくなっているということだ。あるいは、執筆者(記者)の主張を伝えるという意味では、①(あるいは②)と④の差も薄まるということになる。この結果、①②③④が読者からみるとどう違うのか、その差がわからなくなってしまう側面がある。

 現在紙面化されている記事においても、表面的には①を装っていても、内容的には④と変わらないものがあるなど、あまり意識されていないのではないかと見受けられる状況がある。ただしこれは、署名化を進め、個々の記者が責任をもって記事を発信するという方向性をとる限り避けられないし、また、いまの時代の新聞紙面作りの手法として肯定的に捉えることがあってもよいのかもしれない。

 そうであるならば一方で、自分の記事の立ち位置をはっきりさせる軸として、前の図で示したように、記事形式ではなく性格に立脚した違いを意識することが必要ではないか。冒頭に掲げたように、より本来の新聞社の強みである時空(時間軸や場所軸)を超えた紙面作りを維持するために、1つの方策だと思うからだ。

※詳しくは、本紙版「ジャーナリズム時評」https://www.kanaloco.jp/special/discourse/journalism_review/をお読みください。

山田健太(やまだ・けんた 専修大学教授) 専修大学ジャーナリズム学科教授・学科長。専門は言論法、ジャーナリズム研究。日本ペンクラブ専務理事。主著に「沖縄報道」「法とジャーナリズム 第3版」「現代ジャーナリズム事典」(監修)「放送法と権力」「ジャーナリズムの行方」。


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