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神奈川新聞と戦争
(123)1941年 疑心と偏見はびこる

神奈川新聞と戦争 神奈川新聞  2020年01月19日 05:00

1941年11月7日の神奈川県新聞に掲載された赤玉ポートワインの広告。「スパイの手」と題し外国人への偏見をあおった
1941年11月7日の神奈川県新聞に掲載された赤玉ポートワインの広告。「スパイの手」と題し外国人への偏見をあおった

 寿屋(後のサントリー)は1941年11月6、7日の連日「スパイの手」と題する赤玉ポートワインの広告を、本紙の前身である神奈川県新聞に掲載した。

 6日は前回述べた通り、貯水池近くに3人の少年がいたという話に尾ひれが付き、水道に毒が投げ入れられた、との流言が広まり都市が大混乱した外国の話を紹介した。スパイがこうしたデマを引き起こすと注意を呼び掛けたものだ。

 翌7日に載った広告も同じく「スパイの手」という題ながら、内容は異なっていた。小見出しには「外人牧師と園児」とある。

 「某外人宣教師、彼は神に仕へる傍ら、幼稚園を経営し、慈悲深い牧師さんとして町内から親しまれてゐた。所がこの牧師さん、ある時『勇士の遺児にお菓子を贈つて慰めたい』といふ神妙なふれ出しで無心の園児に頼んで戦死者遺家族を調べたのである。あれは戦死者の数を調べてゐるのだと噂(うわさ)の立つ頃彼の姿は町から消えてゐた……人情の機微を巧みに利用した恐しいスパイの一手!」

 確かに、そういうスパイが存在したかもしれない。ただ、同時期の新聞には、戦死者の情報が度々掲載されていた。それこそ、この広告と同じ面にも「興亜の礎石」と題し、実名と住所を挙げ「十月一日興亜の礎石と散華した旨、六日中区に内○[判読不能、内報か]があつた」と4行の短い記事が掲載されている。

 2日後の同9日の記事も「無言の凱旋(がいせん)」として「遂(つい)に興亜の礎石として散華した中区中村町(略)陸軍伍長(略)勇士は来る十三日午後六時桜木町駅に無言の凱旋、同駅には脇水中区長を始め区内各団体代表多数が出迎へ駅頭で焼香の上自宅へ帰還の予定である」(実際には番地と名前も記載)と詳報している。

 先の広告で注目すべきは「あれは戦死者の数を調べてゐるのだと噂の立つ」というくだりだ。所属部隊や戦死した場所こそ伏せられているが、戦死者の情報は新聞に出ている。にもかかわらず、外国人が戦争を巡る情報に触れようとすればスパイ視する。疑心と偏見がはびこっていた。

 真珠湾攻撃の1カ月前、人々の精神面での「戦時体制」は確立していた。


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