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神奈川新聞と戦争
(番外編)1926年 「霊柩列車」と新元号

神奈川新聞と戦争 神奈川新聞  2020年01月02日 05:00

霊柩列車の編成表(右)が掲載された1926年12月27日の横浜貿易新報。列車は機関車と8両の客車を連ねた
霊柩列車の編成表(右)が掲載された1926年12月27日の横浜貿易新報。列車は機関車と8両の客車を連ねた

 新元号「令和」。今回は番外で、大正天皇が逝去し「戦争の昭和」が始まった当時の紙面をひもとく。

 「天皇陛下今二十五日午前一時二十五分葉山御用邸に於(おい)て崩御あらせらる」。大正天皇の肖像を掲げ、1926年12月25日の横浜貿易新報(横貿、本紙の前身)は「崩御」を報じた。

 「葉山特派員発」の署名で「数名の女子等は御正門前に至り涙を浮べて熱心神仏に祈る」「附近のそば屋東京軒からそばを持ち出し運ばれるのは衛兵の夜食とも思はれる」と、臨場感ある描写だった。翌26日の紙面は現存せず、改元の詳細はうかがい知れない。

 「天皇陛下還幸」と題した27日の横貿の記事は注目に値する。大正天皇の遺体を乗せた「霊柩(れいきゅう)列車」が、逗子駅から東京・山手線の原宿駅(現在も残る皇室用ホーム)まで走るという内容で、その列車編成や通過時刻を詳述したのだ。

 記事は編成を「機関車-鉄道省官吏-地方官吏-皇族 宮内官-霊柩車-皇太后陛下-女官-宮内官-鉄道省用」と図示し、隣に「両陛下並(ならび)に霊柩県下各駅御通過時間」と、県内各駅の通過時刻を記した。時刻表そのものだ。「両陛下」とは御用邸を弔問した昭和天皇、皇后を意味する。

 この「時刻表」からは、昭和天皇と霊柩列車が別々に走ること、昭和天皇の列車は逗子駅を午後3時20分、霊柩列車は同5時35分に発車することが分かる。通過駅である鎌倉、大船、戸塚、保土ケ谷、横浜、神奈川(廃止)、東神奈川、鶴見、川崎の両列車の通過時刻も羅列された。

 ここまで詳細に告知した理由は何か。実は戦前、皇室は積極的に鉄道を利用した。政治学者の原武史は、著書「鉄道ひとつばなし」で「『皇恩』を全国の隅々にまで行き渡らせようという政治的な意味合い」があったと指摘する。

 沿線で見送る人々は、時刻表に合わせた分刻みの行動を強いられる。国民を時間的にも統制することで近代天皇制国家は確立したのだった。

 今回の改元を巡っては、元号がもともと統治者の時間支配のために定められたことが再認識された。昔も今も、天皇の交代は権力の形を顕在化させる。


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