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神奈川新聞と戦争
(116)1941年 それでも広告を出す

神奈川新聞と戦争 神奈川新聞  2019年12月01日 05:00

湿布薬(右上)や消化・栄養剤(下)の薬品広告に交じり「先づ体力を養へ!」と題し、ワインの疲労回復効果をうたった赤玉ポートワインの広告=1941年3月25日付神奈川県新聞(本紙の前身)
湿布薬(右上)や消化・栄養剤(下)の薬品広告に交じり「先づ体力を養へ!」と題し、ワインの疲労回復効果をうたった赤玉ポートワインの広告=1941年3月25日付神奈川県新聞(本紙の前身)

 戦前「三大広告」とされた薬品、化粧品、出版のうち、最初に戦争の影響を受けたのは化粧品だった。内川芳美編「日本広告発達史(上)」(1976年)によると、新聞広告の総行数に占める業種別の割合は36年の時点で14・5%あったが、40年には9・2%に。順位も2位から4位に転落した。薬品と出版は既に説明したように時局に乗じ、存在感を維持した。

 化粧品と同様の経過をたどった業種が、長らく三大広告に次ぐ位置にあった食料品だ。これまで取り上げてきた赤玉ポートワインの寿屋(後のサントリー)も含まれる。37年に日中戦争が始まると、業種別の割合は37年の9・0%から39年に6・6%、40年に2・7%、41年にはベストテンの圏外へ、と激減した。

 理由として、同書は「1939年9月1日に始まった“興亜奉公日”には、待合・バー・料理屋などは酒もビールも売らずほとんどが休業するなど、自粛ムードがしだいに広がったこと、1940年4月には、商工省価格形成中央委員会が、米、味噌(みそ)、醤油(しょうゆ)、塩、砂糖などの主要食料品を含む10品目に切符制の採用を決定するほどに食料品関係の統制が比較的早く進行したこと」などを挙げた。

 キャラメルなどの菓子、カルピスのような「滋養飲料」、粉ミルク、日本酒、ビールなどの広告は「1940年7月には前年同月に比べ最低50%以上も落ち込んでいた」。森永製菓は41年、広告課そのものを廃止してしまった。同書によれば、原料の入手難などが理由という。商品を広告する以前に、製造自体が困難になっていたのだ。

 それなのに、寿屋は41年以降も広告をやめなかった。自社製品を売り込むことなく、国策に忠実に沿ったスローガンを繰り返し載せる「献納広告」を、出稿し続けたのである。


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