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2019年9月の記事から
【ウエブ版解説】変わる新聞、変わらない基準

ジャーナリズム時評 神奈川新聞  2019年10月17日 02:00

 当月の本紙「時評」では、<民意>の扱いを論じている。要旨、行政は「(1)選挙結果、(2)住民投票、(3)パブコメ」を参考にし、報道機関はこれらにプラスして、「(4)世論調査、(5)日常取材、(6)直接行動」をもとに、住民=読者の思い(世論)を想定しながら、紙面作りをしているということだ。

 政治家が、有権者の声に反して行政を執行できないのは当然で、それゆえに上記で示された民意を傍らに置きながら、自らの政治意思の実現をはかっているわけであろう。一方で報道機関も、こうした民意と関係なく紙面展開をすることはできない。日本の新聞の場合はどちらかというと、定期購読に支えられていることから、その時々の読者の意見にそれほど左右されることなく、自らの紙面方針を貫くことができるとされてきた。

 それでも、読者の思いとかけ離れていては、当然そうした読者は遅かれ早かれ離れていくわけであることから、世論動向を一定程度勘案することは経営戦略的にも常に必要だろう。しかしだからといって、読者に寄り沿うことが、阿(おもね)ることになってはいけないし、気持ちは持ちつつ軸はぶれない、というのがいわば古典的な編集における基本姿勢だったといえる。

 そうした中で最近は、より「(記者が)伝えたいこと」より「(読者が)伝えてほしいこと」を重視する傾向が強まっている。それは、インターネットの普及で双方向性が当たり前になって、一方通行だった新聞もその影響を受けざるを得なくなっていることが一つの要因である。

 こうした中で、とりわけ報道機関がより重視し始めているのが上記の(6)である市民の「直接行動」だ。具体的には、集会やデモなどの抗議活動などが該当する。新聞は最近10年で、明らかに扱いを変えてきている。それはこうした市民の動きを、一部の特殊な人たちの政治パフォーマンス、と捉えるのではなく、市民の強い意思の表れ、と考えるようになってきたからだろう。

 しかも、インターネット(とりわけSNS)を介在して拡散をしてきているこの種の市民活動を、新聞が取り上げないことがあると、「マスゴミ」という呼称に代表されるように、大メディアは意図的に政府に批判的な動き(情報)を隠蔽(いんぺい)している、市民の動きを無視しているという攻撃に晒(さら)され、いや応なしに無視できなくなってきているという側面も否定できない。

 例えば、東日本大震災後の原発再稼働の官邸前集会を思い出してみよう。この集会は当初、どの新聞でも報道されることはなかった(ちなみに、再稼働反対のさまざまな活動を伝える記事がなかったわけではない)。これに対する批判がネット上等で出回る事態を受け、新聞も変わる。節目は、いまちょうど別の意味で問題になっている、関西電力の原発再稼働第1号を巡る抗議行動集会であった。

 しかもこの際に、各紙の扱いが大きく異なった。たとえば東京新聞は1面トップで、「膨れ上がる再稼働反対」の見出しとともに大きな写真を配して伝えた。本紙・神奈川新聞では、共同配信記事を社会面で写真とともに「『再稼働反対』の波」の記事として掲載した(翌7月1日付でも、「脱原発20万人の叫び」との見出しで、デモが広がっている背景を伝えた)。

 全国紙では2012年6月30日付の朝日新聞が、「『脱原発』官邸前埋める」との見出しで、主催者発表18万人という数字を挙げつつ、1面の端で伝えた。その一方で産経新聞は、社会面のベタ記事(小さなストレート=事実だけを淡々と述べるような小さな記事を指す)で、「原発再稼働反対に2万人」の見出しの記事を掲載した(写真なし)。

 これはもちろん、その社の原発エネルギー政策に対するスタンスの違いを反映したものに違いないが、同時に、この種の市民の動きを「民意」として認めるかどうかという違いでもあった。それがより鮮明になったのが安全保障関連法案に対する、国会前抗議活動の扱いである。

 例えば2015年8月29日の集会が最大規模のものであったが、翌日朝刊ではさすがに各紙ともが写真で大きな扱いをしている。しかし一方で、社のスタンスを反映して、その集会が一部の市民の意見の反映でしかないことを、ことさら強調する紙面作りを行う社もあるということだ(例えば、読売新聞や産経新聞)。

 このように、民意を紙面上でどのように扱うかは近年、その媒体の立ち位置を最も素直に表す指標として、とても便利なものでもある。それを意識するか否かは別として、少なくともこうした市民の示威行為を、社会全体が共有し、議論のきっかけにしていくためにも、積極的に<民意>の一つとして新聞が取り上げていくことが必要だ。新聞社内の意識が変わりつつある今でも、海外の抗議活動(例えば香港デモ)は扱っても、国内の抗議デモは扱わない、という「見えない基準」がありはしないだろうか。

※詳しくは、本紙版「ジャーナリズム時評」https://www.kanaloco.jp/special/discourse/journalism_review/をお読みください。

山田健太(やまだ・けんた 専修大学教授) 専修大学ジャーナリズム学科教授・学科長。専門は言論法、ジャーナリズム研究。日本ペンクラブ専務理事。主著に「沖縄報道」「法とジャーナリズム 第3版」「現代ジャーナリズム事典」(監修)「放送法と権力」「ジャーナリズムの行方」。


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