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庶民の胃袋満たした生涯 川崎の食堂おかみ、91歳で他界

話題 神奈川新聞  2019年09月22日 11:49

建て替え前の店舗の前に立つ生前の野中道子さん(1989年6月、家族提供)

 工都川崎で働く人らの胃袋を支える大衆食堂「丸大ホール本店」(川崎市川崎区)の名物おかみ、野中道子さんが9月6日、91歳で他界した。戦後から高度経済成長期、そして胃がんの手術を受けた2008年まで、およそ60年にわたって店に立ち続けた道子さん。長男の茂さん(66)は「朝から晩まで働きづめだったが、子ども思いのいい母だった」としのんでいる。

 同店は1936年ごろ、現在とほぼ同じ京急川崎駅近くに開業した。当初は甘味を提供する飲食店として出発。敗戦後はあんみつやたい焼きが好評で、かつて市内に工場を構えた明治製菓(当時)の女性従業員が行列を成したという。

 横須賀生まれの道子さんが2代目店主の敏夫さんと結婚し、店に出るようになったのは戦後間もなく。甘味どころから大衆食堂へと形を変えた丸大ホールは今と同じく、午前中の開店とともに夜勤明けの工場労働者らでにぎわい、夜も客足が絶えなかった。

 メニューは和食から洋食、中華、お酒、その肴(さかな)までと何でもそろい、中でもモツ煮が一番人気。早朝は仕込みに、開店中は厨房(ちゅうぼう)で汗を流し、時に接客にも顔を出した道子さん。夜10時の閉店後も後片付けに追われる母の姿を、茂さんはよく覚えている。

 「高度経済成長期は大繁盛。社員皆で熱海に慰安旅行に出掛けた際は、タクシーで川崎まで帰れるぐらい羽振りが良かった」と茂さん。たくさんの働き手の腹を満たしてきた店は、地域の歴史をそのまま映す場所でもあったという。

 二人三脚で店を切り盛りしてきた敏夫さんが亡くなったのは85年。道子さんはひどく落ち込んでいたというが、「店があったからこそ立ち直れたのでは」と茂さんは思い返す。

 それまで午前10時だった開店時間を現在の8時半にしたのは、ちょうどそのころ。朝の仕込み中に夜勤を終えた工場労働者らがシャッターを開けて中に入り、ビールを飲み始めてしまうことから、客を思って開くのを早めたという。

 胃がんを患い、道子さんは10年ほど前に「一線」を退いた。以降は旅行に出掛けたり、店で常連客との会話を楽しんだり。2010年ごろには、昭和期に住み込みで働いていた店の元従業員が開いた「OG会」で囲まれるなど、多くの人に愛されていた。

 今までテレビや雑誌の取材を断ることのなかった道子さんが、初めて首を横に振ったのは今年6月。程なくして入院し、約3カ月後に91年の生涯を閉じた。

 「仕事は忙しかったが、どんなに疲れていても閉店後は私の悩み事の相談に乗ってもらったり、中高6年間毎日弁当を持たせてくれたりした」。今は公認会計士として働く茂さんは感謝の念を抱きながら、母を思い出す。野中家と親交の深い元参院議員の斎藤文夫さん(91)も「慕うファンがいっぱいいた」と寂しげに話した。

 午前中からお酒が楽しめる丸大ホール。入店すると店員が「食事ですか、飲みですか」と尋ねるのが店の流儀だ。「お客さんのために」「おなかいっぱいになってほしい」。そんな言葉が口癖だった道子さんの思いは、これからも守られていく。


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