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【K-Person】平野啓一郎さん
名作の場面切り取り 原文の魅力を伝える

K-Person 神奈川新聞  2017年09月10日 10:35

平野啓一郎さん
平野啓一郎さん

平野啓一郎さん

 「映画や漫画、アニメなどには、名セリフなど愛されている場面がある。触れた人が思い入れを持って語る部分に、その作品が象徴されている。小説も同じ。だから、書き手がその一片にフォーカス(焦点化)した物語の紹介方法があるのではないか」

 芥川賞作家の平野啓一郎が発案した「日本文学 あの名場面」が神奈川新聞のイマカナ日曜版で17日から始まる。自ら籍を置く「飯田橋文学会」のロバート・キャンベル、鴻巣友季子、中島京子、阿部公彦、田中慎弥ら作家や文学者6人が交代で執筆する。紙面では「小説の原文に触れてほしい」とこだわり、あらすじの紹介ではなく、毎回その原文とともに、取り上げたその一幕について筆者が思いをつづり、後世に文学のバトンをつないでいく。

 「ほんの少しでも原文に触れると、その世界がよく分かる」

 トップバッターを務める平野は、芥川龍之介が横須賀の海軍機関学校での講義を終え、下宿していた鎌倉に向かう際に利用していた横須賀線の車中でのできごとを記した「蜜柑」を選んだ。

 曇った冬の日。奉公先に向かう少女と、倦怠(けんたい)感を抱えた男。同じ車内に乗り合わせた二人は、ひと言も言葉を交わすことはないが、少女のある行動によって、空のようにグレーだった男の心に光が差す。「印象派の絵画みたいな。鮮烈な場面」。そう口にした平野の瞳が輝いた。

 平野の代表作に、19世紀のフランス・パリの社交界を舞台に、作曲家のフレデリック・ショパンと、画家のウジェーヌ・ドラクロワ、小説家のジョルジュ・サンドらの交流を原稿用紙2500枚に書きつけた「葬送」がある。

 登場人物の温度を感じられるように、平野は、ドラクロワの日記に書かれていた、「スプーン1杯のショコラを、コーヒーに入れて飲むとおいしい」という記述を、小説の中に含めた。4年の歳月をかけた大作の中でのわずか1、2行ほどの部分に、「ドラクロワの人となりを感じた」「わたしもやってみました」と読者が声を寄せた。「何を食べているのか、どんなものが好みか。そういうものを通して、社会的な属性が透けて見えることがある」

 言葉から浮かんだ情景に、読み手が経験を重ねると、自分だけの物語になる。新企画には、その感覚が一般的なものになればいいという願いも込めている。

 日常にある疑問は小説の種になる。向き合い、ある種のアポリア(難題)にぶつかると、「書こう」とエンジンが回りだす。「解決不可能な問題に向かって言葉をつづっていると、文体にエネルギーが満ちてくるし、緊張感も出てくる」

 次回作は、生まれや育ちが人格形成にどんな影響を与えるかということがテーマになるという。

ひらの・けいいちろう 小説家。1975年、愛知県出身。京都大学在学中の99年に、「日蝕」で「第120回芥川賞」を受賞。2004年には、文化庁の「文化交流使」として1年間、パリに滞在した。08年からは、三島由紀夫文学賞選考委員、東川写真賞審査員も務めている。14年にフランス芸術文化勲章「シュバリエ」を受章。「決壊」「ドーン」「空白を満たしなさい」など数々の著書があり、各国で翻訳紹介されている。毎日新聞で連載していた最新長編小説「マチネの終わりに」は累計16万部を突破するヒットになっている。

記者の一言
 「平野さんから『蜜柑』の原稿が届きました」。デスクから受け取り、追いかけた文字。言葉が五線譜に乗っている感覚を持つ唯一の作家であることを改めて感じ、ため息がもれた。平野さんと親交がある瀬戸内寂聴さんの取材のため5月、岩手県の天台寺に出向いた。95歳の作家は「息子にしたい」と公言するほど、その才能にほれ込んでいる。「平野さんはね、ノーベル賞をとると思うの」と口調は熱い。「先生、そのときまで生きていてくださいね」と手を握った。


平野啓一郎さん
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