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2019年6月の紙面から
【ウェブ版解説】わかりやすい「変化」を

ジャーナリズム時評 神奈川新聞  2019年07月19日 05:00

 新聞の投稿欄を読まれたことはありますか。神奈川新聞であれば「自由の声 読者のページ」で、投書のほか写真などの投稿コーナーもある。当然であるが、掲載文や写真には名前が表示されるが、それとともに、年齢と住所、職業呼称(肩書)がつくのが慣例となっている。集会などでフロアから発言する際にも、「お名前とともにご所属を」と言われるのが一般的であるが、どうしてこれらの情報が必要なのだろう。

 本紙「係から」でもその理由を、「どういう立場の人が発言しているかは重要なポイント」と説明されている。年齢表記とともに、「投稿者と発信内容について客観性を担保し、フェイクニュース防止の一助ともなります」ともいう(4月23日付)。確かにそうだろう。「PTA会長」が教育現場に意見するような場合はよくわかる(4月9日、22日、5月13日、18日付などで担当者のコメントが付されている)。しかし、「パート」「主婦」「会社員」「無職」の肩書の違いが、本当に内容につながっているといえるのか悩ましい。実際、パートと会社員の差もわかるようでわからないし、無職とボランティアもその時々の使い分けではと思ってしまうことがある。「年金生活者」を認めるかどうかは、以前より議論が続いているところだ(6月24日付)。

 これらはいわば肩書による差別感があることを表しているのだろうか。そしてこの呼称によるある種の「イメージ操作」は、新聞報道自体が作り出しているものでもある。このことを本紙連載「ジャーナリズム時評」19日付では、〈権威〉に依拠してはいないかと、法制度や当局発表との関係から指摘したところだ。たとえば、昨日まで「受刑者」と表記されていた人が仮釈放されれば敬称(通例は「さん」)がつくし、再審が決定されれば「元被告」と呼び、さらに無罪が確定すれば敬称をつけるといったルールが、新聞社内ではおおよそ決まっている。いわば、呼称を変えることで当該者が「罪人ではない」ことを表そうとしているということになる。

 それは一方で逆も真なりで、かっては逮捕された被疑者を「呼び捨て」で報道することで、悪者イメージを醸成していた。しかし70年代以降、新聞報道がさも真犯人であるかのごとく報道するのは、ペーパートライアル(紙上裁判)であって問題であるとの指摘がなされ、80年代に入り無罪推定原則を報道にも適用すべきとの意見などが出される中、新聞やテレビの報道機関の信頼性向上のためにも事件報道を見直そうということになった。その結果生まれたのが、現在も使用されている「容疑者」呼称である。

 すなわち、最初は報道による犯人視を回避するために考えられた「特別呼称」であったわけだ。1989年を境に、神奈川新聞も含め一斉にメディア界全体が変更したことで、社会的にも大きなインパクトがあったことを思い起こす。また書く側も、容疑者を使用することによって、有罪ではない可能性を自己認識するという効果もあった。しかしこうした「悪者扱いしない」という思いは、90年代に起こったオウム事件や毒入りカレー事件などを経て、すっかり消えてしまったといってよかろう。実際いま現在、容疑者呼称が犯人視していないことの証しと思っている受け手はいないのではないか。こうした現実を前にして、もし新聞が本当に逮捕者を有罪と決めつける報道が問題だと思っているのであれば、それなりの具体的な手当てをしていく必要がある。

 マスメディアの「慣習」が、読者・視聴者に十分理解されていないとの指摘が続く今こそ、見直しのタイミングともいえるだろう。さまざまな人権配慮の結果、匿名にしたり、肩書をつけたりしているにもかかわらず、報道で「容疑者」を使用した瞬間、ほとんどの読者・視聴者は、「その人がやったんだ」と思ってしまっている。犯人視していない証しとしての容疑者呼称が、実際は犯人視している場合に使用しているという紛れもない事実は、放置しておくわけにはいかないだろう。あるいは政治家や有名人の場合に、本来は容疑者とすべきところを、職業呼称や肩書をつけて「配慮」していることも、報道機関の姿勢が見透かされている1つともいえよう。

 いまでも、スポーツ面は「呼び捨て」だし、人事欄も同様に呼び捨てが当たり前で、だれも疑問には思わない(煩雑さを避けるのが一義であるとされる)。ではいっそうのこと、新聞紙面の氏名をすべて呼び捨て報道にすれば、いらぬイメージ操作を疑われることはなくなるだろう。その逆に、紙面上の氏名はすべて「敬称」付きという選択肢もあるかもしれない。そこまでドラスチックな変更ができないなら、事件・事故関係の加害者はすべて「呼び捨て」なら可能だろうか。これも逆をいくなら、せめて職業や肩書の差なく(首相でも大臣であっても)、等しく「容疑者」呼称をつけることなら、すぐにでも実行可能だろう。こうしたわかりやすい「変化」が、ジャーナリズムの活性化につながると信じたい。

山田健太(やまだ・けんた 専修大学教授) 専修大学ジャーナリズム学科教授・学科長。専門は言論法、ジャーナリズム研究。日本ペンクラブ専務理事。主著に「沖縄報道」「法とジャーナリズム 第3版」「現代ジャーナリズム事典」(監修)「放送法と権力」「ジャーナリズムの行方」。


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