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津波そのとき 3・11の教訓(1)
間一髪「逃げなければ犠牲に」

津波そのとき 神奈川新聞  2011年09月02日 14:00

死因の9割が溺死


津波被害を免れた小学校に移り、2学期の始業式で笑顔を見せる大船渡市立越喜来小の児童ら=8月17日
津波被害を免れた小学校に移り、2学期の始業式で笑顔を見せる大船渡市立越喜来小の児童ら=8月17日

 海抜約30メートルの高台に位置する小学校が、復興への確かな一歩を刻んだ。巨大津波も、ここまでは届かなかった。

 8月17日、岩手県大船渡市立甫嶺(ほれい)小。被災した海沿いの2校と合同で2学期の始業式が開かれた。「マラソン大会に向け、走り込みをしました」。津波で全壊した市立越(お)喜(き)来(らい)小の児童が夏休みの思い出を語る。今野義雄校長は快活な子どもたちに復興への思いを重ねた。「3校の頑張りが地域の頑張りにつながります」

 3月11日。津波は越喜来小の壁を容赦なく打ち抜いた。素早い避難で児童71人は全員助かったが、親が仕事を失った影響などで転校する児童が相次ぎ、新たな学びやとなった甫嶺小に移ったのは56人にとどまる。

 1896年の明治三陸地震、1933年の昭和三陸地震、60年のチリ地震と、ほぼ30年おきに津波に見舞われてきた大船渡。「次」に備えていたものの、現実は想定を軽々と超えた。過去の被害を基にしたハザードマップで想定した浸水地域の人口は5600人だったが、実際は3倍超の1万9千人。死者・不明者は300人以上に上った。

 「昭和の津波はここまで来なかった。血相を変えて『逃げろ』と駆け込んできた長男が手を引っ張ってくれなかったら…」。越喜来地区に住む及川忠之丞さん(85)は裏山の斜面をどうにかよじ登った直後、流されていく自宅が目に入った。間一髪だった。

 「ひどい地震でしたね」。揺れの直後、そう言葉を交わした向かいの老夫婦は自宅に戻ったまま、ともに帰らぬ人となった。

 生か、死か-。津波が引いた境界は紙一重ながら、あまりにも明瞭だった。

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