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酒と涙と男と天ぷら(17)
浮世絵(1) 時空を超えた出会い

話題 神奈川新聞  2019年06月28日 01:58

切れ長の瞳に小さな唇、そして右手には…
切れ長の瞳に小さな唇、そして右手には…

 一九八八年春、綻(ほころ)び始めた桜の蕾(つぼみ)が辺りを染める花曇りの朝だった。その人は前触れもなく唐突に僕の前に現れた。薄いブルーとベージュのしま模様のつむぎを見事に着こなし、整った面立ちに朱色の紅がよく似合っていた。切れ長の瞳でこちらをうかがうように見つめると、小さな唇をそっと開いた。「会いたかったわ…」

 僕は思わずつばを飲み込み、彼女の胸元からのぞく赤いじゅばんに目線をそらした。そして自分でも思いがけない言葉をつぶやいていた。「僕も会いたかったよ。ここで会えるとは…」。時間のたつのも忘れ、私は彼女をじっと見つめた。時空を超えた運命の出会い、そしてこんなにも切ない恋の始まりになるとは、その時は思わなかった。

 その日、たまたま休みが取れた私は、居間のソファに深く体を沈めて、手元にあった一冊の雑誌を手に取りページをめくっていた。その人はソコにいた… 楽しげになまめかしい笑みをこぼしながら。

 浮世絵師、月岡芳年が江戸の終わりから明治初めにかけて描いた連作、風俗三十二相。その一枚「うまそう」の中で、その人は本当においしそうに天ぷらを食べていたんです。説明にはこう書いてありました。天ぷらをはしにとって食べる嘉永年間(一八四八~五四)ごろの遊女。

 ヒエーッ! そりゃびっくりしましたよ。天ぷらを食べている美人の浮世絵があるなんて知らなかったですからね。牛鍋とかすしなんてのはありそうですけど、天ぷらですからね。しかも品川辺りの粋な遊女さんが江戸前のハゼの天ぷらを食べながら微笑んでいるんですよ。天ぷら屋としてはモー、一目惚(ぼ)れしかないでしょ。

 天ぷらの語源はいろいろありますが、「天婦羅」と書いて、天婦つまり天女。羅は沙羅(さら)の羅、薄衣ですよ。薄衣といえば天ぷらになくてはならないコロモですから。誰ッ! 「裸(ら)」って言ったのは。コロモ脱いだらカラアゲになっちゃうでしょ。

 皆さんあまり聞いたことはないでしょうけど、「天婦羅薄い羽衣をまとった天女」という解釈が、個人的には一番好きなんです。天ぷらってなんて色っぽいんでしょう。その天女が目の前にふいに現れたんです。

 遠くから彼女を見て恋焦がれているよりも、何としても手に入れなくては済みません。今まで浮世絵にこれほど興味を持ったことはありませんし、どうしたらこの天女が手に入るのか思いも付きません。こんなとき、ワルい商人代表の越後屋がいてくれたらなー。「越後屋っ、おぬしもワルよのー」って。この話続くのか?

(2005.2.6)



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