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酒と涙と男と天ぷら(9)
蝉の声 フェンス越しの追慕

話題 神奈川新聞  2019年06月28日 01:42

 蝉(セミ)の声に追われての家への帰り道、子供のころによく登った根岸八幡神社の裏山を思い出しました。山には虫捕りによく行きました。昭和三十年代前半の夏のことです。

 そこには近所のガキ大将仲間しか知らない秘密の虫捕りポイントがありました。高梨牧場の裏の崖(がけ)から登って、北は根岸競馬場(森林公園)から南は在日米軍居留地まで、僕らの縄張りは広範囲にわたり、虫かごがカブトムシやクワガタでいっぱいになる日もありました。居留地は立ち入り禁止区域でしたが、そこは子供のこと、MP(米軍憲兵)以外は大目に見てくれていたようです。


本牧や根岸に広がっていた米軍住宅。手前は、現在の横浜市中区本牧和田辺り。右上に密集している一画は日本人の住宅=1953年(神奈川新聞社撮影)
本牧や根岸に広がっていた米軍住宅。手前は、現在の横浜市中区本牧和田辺り。右上に密集している一画は日本人の住宅=1953年(神奈川新聞社撮影)

 違法侵入を繰り返すうち、居留地の子供たちと縄張りのことで争いになりました。最初は「ゲットアウト(出ていけ)」「シャラップ(うるさい)、ヤンキー」と、大声でけん制しあっていましたが、だんだんとエスカレートして、石の投げ合いになりました。

 当たったら大ケガになるんで真剣です。もともと多勢に無勢、僕らはそこらに転がっている石を拾っては投げ、たまに破れかぶれに突撃をするだけでした。

 ところが、ヤンキースはさすが軍人の子供。石を集める武器調達班、それを運ぶ運搬班、そして射撃班とチームワークは抜群です。運搬班の手押し車や双眼鏡など圧倒的な装備を誇り、「こりゃ戦争に負けるわけだ」と、子供心にも妙に納得してしまいました。

 そんなある日、父の当時の仕事(通訳)の関係で米軍将校の家庭に招待されました。そこは偶然、ライバル・ヤンキースの一人の家でした。父は得意そうに僕と妹を将校の家族に紹介しました。もちろん英語です。この時ほど父の背中が大きく見えたことはありません。ところが父は、僕らと将校の息子を残し、一言、「仲良く遊ぶんだよ。いいね?」と、別の部屋へ行ってしまいました。

 頼りの父がいなくなり、お互いに言葉も分からず、気まずい時間が流れていきました。後になって考えると、この時父は人間同士、会話の必要性を身をもって教えてくれたんだなと思います。その割には、妹はともかく、僕の英語力はまじめな話をしても相手の外国人が笑い出す始末です。

 先日、蝉の声に誘われ、歩き慣れた神社の裏山に久しぶりに上ってみました。居留地はすべて鉄条網のフェンスに囲まれ、入り口にはOFF LIMITS(立ち入り禁止)の看板がかたくなに侵入者を拒んでいます。フェンスの中には丁寧に刈り込まれた芝生が続き、あの当時より大きくなった木々が相変わらず黒々とした枝を伸ばし、蝉を集めていました。

 父と訪ねた将校さんの家も遠くに見ることができ、芝生の上には、あの時の得意そうな顔をした父が見えました。「仲良く遊ぶんだよ。いいね?」。父が亡くなって、五度目のお盆を迎えました。

(2004.8.1)



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