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酒と涙と男と天ぷら(4)
誕生日 五十の手習いがスタート

話題 神奈川新聞  2019年06月28日 01:31

 もう幾つ寝ると五十一歳の誕生日が来てしまいます。生まれた年に赤ちゃんコンクールで準優勝してから、今まで賞と名の付くものに一切縁がありません。そのコンクールで優勝した田中喜芳君は、世界でも指折りのシャーロック・ホームズ研究家として活躍しています。

 母上は準優勝が残念だったようですが、私は赤ん坊なりに結果を冷静に受け止めました。きよしちゃんとは小学一年の時、校庭で大立ち回りをして以来けんかもなく、今でも仲良く付き合っています。半世紀にわたる一番古い友人です。お互いに無事で良かったよな。

 「人間五十年…」と謡った織田信長は五十歳まで生きられませんでした。一年中、医者と冷暖房の切れたことのないわたしも、今の時代でなかったら当然、自然淘汰(とうた)されている個体なんだと思います。人生五十年、生きていてよかった。記念に何かやろうと決心したのは四十九歳の秋も深まったころでした。

 「トゥルルル、トゥルルル」と電話のコール。妹でした。

 「あっ、お兄ちゃん、今度五十歳だねえ。プレゼント何がいい」

 「何でもいいよ」

 「いやー、五十歳だからさ、何でも好きなもんプレゼントするよ。えへっ」

 「絶句!」

 「こんなことは人生二回しかないからさ。えへっ」

 「えっ、もう一回あるの」

 次は百歳でした。この時、いろんなことを考えてしまいました。私の家が代々不動産に縁のない借地一族なこと。愛車が十年以上たって最近変な音がすること。家が古くて雨漏りがすること。

 「じゃあねえ!」 この瞬間に目覚めました。プレゼントにはお返しがあること。次は妹が五十歳になること。兄としてのプライドが少々残っていること。危なかった。変なこと言っちゃうところでした。

 十年ごとの節目のお祝いは二十歳の時に女房にすごーく大事なプレゼントをもらって以来、普通より静かめに過ごして参りました。四十の時は忙しくて誕生日を忘れていたぐらいです。大体、ホワイトデーの生まれ、バレンタインデー生まれに比べると祝福の度合いが少ない薄幸なバースデー男です。

 いきなり好きなもの何でもあげると言われても、オシャレに答えられません。思わず「ウッドベースが欲しい」。「へー、それでイイの?」

 しっ、しまった! なんてことはありません。高校のころ、よく行った新宿のジャズ喫茶。サックスの後ろでピアノとドラムのはざま、薄暗い照明の中で気持ち良さそうにウッドベースを弾いていたサングラスのおじさん、カッコ良かったな。演奏中にたばこの煙をくゆらせて、バーボンのロックグラスをなめながらべ-スソロ。そうだ、アレになりたい! 五十の手習いの始まりです。

(2004.3.2)



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